conparu blog

ささやかな身の回りの日常を書き綴ります。
[ブックマーク『conparuの白い航跡』もよろしく]

コロナ禍中を生きる

2021-02-22 22:25:29 | 随想

コロナ禍の中を如何に行くべきか、一頃の感染爆発が下火になったかにも見えるが、気を緩めたら一気にぶり返すのは目に見えている。苦痛ではあるがワクチンも先のことだし、ここは辛抱が大事だと思って出来るだけ外出を控えるようにしている。とは云っても結構それなりの外出があって、殆どが食料の購買であるが、遠出も2週間に1度くらいはある。これもやむなき事情の家族奉仕とやらで、医療機関への送迎に時間を割いているわけだが、生活の変化の面では大いに息抜きになっている。コロナ禍の今日を逆手にとって、趣味の生活を取り入れたなら有益な活力源ともなり得ると、我ながら殊勝なことなのだが、オーディオの機器を追加注文した。以前のレコードプレーヤーとプリメインアンプ、そして1対のスピーカーに加えて、新たにAM/FMラジオチューナーをネットショッピングで取り寄せたのである。
始めは幾分雑音が混じっていたので、室内アンテナも取り寄せて天井に貼り合わせてみたところ、バッチリ音が決まった。味を占めたので妻のコンポーネントにもフェードアンテナを取りつけてあげたら、雑音のないクリアな曲が流れてきた。妻の喜びようときたら、生きる愉しみを授かったかのように和んできた。有意義に過ごす手立てをあれこれ考えて、生活に内容を添えようと知恵を絞るのも、コロナ禍へのささやかなレジスタンスとなる。

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春の兆し

2021-02-07 10:25:53 | 随想

立春を迎えて日脚も随分と伸びた。未だ冬の気候ではあるけれど、春は隣りあわせにある。コロナ禍最中に喧しい政局であったが、云わずともよい言動で空気を震わせた老害転倒劇などは、生身にしみた年代の時代臭が漂って、ある意味哀れにも思う。
人それぞれに時代の臭気を醸すものだと、われも己の内に鼻を利かせるのだが、自分の時代臭は体臭に潜んで分からない。大雑把に言って戦中戦前派の臭いと、戦後民主化派の臭いの差とでも云うべきか、背負ってきた時代の差で大きく違ってくるのではないだろうか?いや、それ以前に包容力の問題だと云う人もいるだろう。兎に角「自分のことは自分が一番」分かっていないのが事実なのだ。

小さな庭ではあるけれど、わが家の庭の一隅に臘梅が咲き誇っている。香りのよい素心臘梅に鼻を近づけると、淡いふくよかな香りが鼻腔を潤してくれる。普段は気にも留めないでそそくさと通り過ぎてしまうのだが、時として黄色い半透明のいじらしい姿が、心奥に響くことがある。タッチされ通電された脳内は平常に作動して、穏やかである。こういう時は悪いことも起こらない。

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