科学技術の恩恵は医療から茶の間の娯楽に至るまで、スイッチぽんで享受できる環境の中にいるわけだけれど、利便性とともに副作用とも云える問題も垣間見える。内と外を隔てない通信技術が、容赦のない情報洪水を家々にもたらし、詐欺行為が受話器を伝わって日常的に繰り返されているのも、利便性の裏に潜む負の遺産だと云えよう。
医療技術の進歩によって平均寿命は延びたし、新薬の開発による難病克服もある。医療に対する信頼は一応評価されていると云うのが一般的な見方。それでも、時には診断過誤や医療ミスによる事故が社会問題化して、一抹の不安を抱かせているのも事実であります。盲目的過信は禁物だと、どんなことであれ自分で納得できる探究心を併せ持つことこそ肝心ではないか。被害を未然に防ぎ、或いは最小限に食い止める予感が潜んでいるからです。
幸にネット検索ではあらゆる情報が手に入ります。ITのもたらす知識が居ながらにして享受できる環境にいることで、生活空間は豊かなものになった。科学の進歩はめざましい―――と云っても全てが手放しで喜べるものではない。モノの開発改良によって利便性の向上を当然のように受けていたなら、何処かでしっぺ返しを受けて苦痛を強いられる場合だってあるかも知れない。
精神医療という尤も解明の遅れた分野においては、内科外科のように患部が可視化されないために、匙加減による投薬が主体となって様々な施薬の試行が繰り返されます。統合失調症のようにストレス社会の申し子とも云える若い患者が増えていますが、純真で生真面目過ぎる子ほど、17歳~19歳頃に発症するケースが多いと言われます。大学受験失敗などを契機として心的負担が増えて発症すると云う人も多いはず。昔と違い新薬処方によって、通院加療を続けながら普段の生活や仕事も可能となった時代ですが、薬の処方が適切でなかったために悪化を辿ったというケースもあります。医療の質の問題は深刻な問題を提起していますが、患者本位の懇切な診療医が存在する反面、蓄財のために患者を道具として扱っている医者もいます。そうでなくとも施療実績を重視する観点から、望まない方向に結果を導いた時の保身に走る医師もいるわけで、特殊な環境に閉じ込められた患者にとっては、最悪の結果が待っていたりします。ニュージーランドから日本に来た若者が統合失調症に罹り、入院した病院で手足を拘束されたあげく、死亡したニュースは未だ記憶に新しいところです。その両親は「まるで中世の医療を見せられた想いだ」と憤慨していました。
国際的な条約である「障害者権利条約」が2007年にニューヨークで成立しました。日本は2014年1月に141番目の締約国になったのですが、本当に条約は守られているのでしょうか?全ての障害者の人権と尊厳を護ると謳った宣言の重さを、患者側に立つ我々が率先して主張しなければ未来は開けてこないと思います。(『障害者の権利に関する条約』この条約文はネット検索で出てきます。)