心太方式と云ったら叱られるかな、押し出せば当然たまるのがオチ。
質も落ちます
最近の大病院での医療トラブル、、、国家試験がところてんだから?
病院の分野によっては、患者の病態を進行させてしまうところもあります。
特に精神医療の現場に付随するケアの施設では、患者が物扱いにされているのが見られます。
医師でもない窓口を担当する係が、医療やケアプログラムに参加する病者を差配する。
患者を一方的に入退院させて、病院経理の利便を図る。
一般的な社会復帰施設では、真面目にやっているところが多いです。
中には社会福祉法人でありながら、施療側とタイアップして計画的に送り込むなど、悪意が見られます。これらの現象的な医療の崩壊を垣間見ることは、日本の特質であると同時に先進国医療の流れに逆行するものであります。
現代のストレス社会による精神疾患は、増加の傾向を見せているので憂慮するところです。
将来の少子化高齢化社会を思うと医療のモラルハザードが心配になります。
多摩川上流域は山が迫り、帯のような細い市街地が山間に蛇行している。
多摩川は流域は短く、しかも源流域から河口域までの標高差は大で、時として激流となる。
だから太古からの多摩川の流れは、山肌を削りつつ岸を洗い、扇状の多摩段丘平野を形づくってきた、、、
気の遠くなるような時間の中で、大自然の息吹が今も人知れず続けられているのだ。
ここ2、3日の間に随分と春らしくなった。山間の桜が見たくなって、奥多摩の地続きにある、あきる野市と檜原村の境付近に行って来た。今日は一人だけの単独行ドライブだが、カメラがついている。
午後からの半端な時間だが、新青梅街道を旧市街地方面でなくバイパスの千ヶ瀬5丁目信号を左折して、日の出、秋川方面に向かう。
この道は多摩丘陵を横断する山間コースで、ひっそりと静かなのが良い。日の出町に入ると中曽根さんが町に寄贈した『日の出山荘』への標識が立っていた。ロン、ヤス囲炉裏談義のあった山荘だ。何時か折りがあったら行ってみよう。
桜の季節になると豊満な色彩を眼中に満たしながら、持参する手料理を頬張るだけで春は過ぎ去っていた。毎年のこと、、、何時かキャンバスに桜を描きたいと思う時間だけは無限にあった。カメラを持参したのは「豊満な色彩」をデジタル保存して、今年こそという思いがあるからなのである。
五日市街道を西進し、五日市駅舎の前を過ぎて戸倉に至る。この辺りは戦国時代の大石定久が支配した戸倉城山があり、その麓に「光厳寺」という古刹がある。偏額の「光厳寺」の揮毫は北朝四代、後光厳天皇によるものとの説明があった。鐘楼の屋根には『丸に二つ引き』の家紋があるのを見ると、開基は足利氏と思われる。
大石定久という戦国大名だが、この戸倉城に来るまでは八王子の滝山城に住していた。北条氏照を滝山城に迎え入れることで、自らは戸倉に隠退した経緯がある。
光厳寺本堂と境内の桜
桜樹の多いところである。山のあちこちに山桜のくすんだ葉色が、前方のソメイヨシノの鮮やかなピンクの合間に見える。銘木と言われる老櫻は寺の境内の外れにあったが、太いでこぼこの幹から伸びた枝々には無数の蕾をつけたまま、まだ眠ったように無言だった。
光厳寺本堂の背後は山がかぶさり、境内からの眺めは前方左右を見渡す高台からなのだが、眼下は急峻なというくらい切り立った高台から見ると、秋川の源流を挟んで小高い峰が横一列に連ねている。程よい距離空間が感じられる。
光厳寺はもともと城主の隠居館だったそうだから、切り立った山裾や空掘りなどの防御的な遺構も残存している。
ここにはこれといった桜は咲いていなかったけれど、近くの戸倉小学校の校庭には見事な桜が満開だった。
戸倉小学校の桜
「桜を愛でる」というタイトルが浮いてしまうくらい、戸倉での収穫は少なかったけれど、「春の野は何処もかすみ桜花・・・」
誰かの詩句のような感じもするけど、車中から満喫したことで良しとしよう。