conparu blog

ささやかな身の回りの日常を書き綴ります。
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XPの思い出 メモリ増強

2010-08-30 07:47:00 | 日記
昨夜の勤務でコーヒーを飲みすぎたせいか、一晩中うつらうつら。
どうにも眠れないのでPCのあれこれを考えてみた。

今は無用となった旧パソコンを使っていたのは、入院する少し前までであるから、
つい最近まで使っていたということになる。
今から6年前に量販店で購入したときは、XPで15万円もしたのだけれど、デフレ気味の今では[7]で8万円台だから半額になっている。

ファイルの多くはXPから移送したので、感覚的には違和感もないと言えるのだが、
XPの旧パソコンで汲々した思い出が頭をよぎる。
購入した時点でHDD60GB、メモリ容量256MB、とHDDはともかくメモリが極端に少なかった。

当時はそれがどういう意味を持っているのか分からなかった。
何年か使っているうちにデータはメモリの容量をオーバーして、仮想メモリ(疑似メモリ=スワップメモリ)を使うようになると、PCの操作性はグンと落ちてしまってイライラの連発へ誘発されてしまった。

本来ならデータを、いったんHDDからメモリ上に読み込み、それからCPUによって開かれる動作が、仮想メモリのあるHDDでデータを探しながら読み込むために時間がかかってしまう。

たまたま近くのショッピングセンターの中にある本屋で、『日経PC21』5月号を手に取ってみたところ、『パソコン高速化』講座というページがあって、メモリ増強が効果抜群だと推奨していたので、さっそくメモリメーカーを検索して512MBメモリを購入した。

メモリの挿入の仕方もHPの関連ページに載っているので、難しくはない。
値段も安く¥5,700と手ごろだった。

このようにして快走し始めたXPだったのに、あるHPをアンインストールしたとたん、ディスプレーの光源がプツンと切れてしまった。
というわけで、新しいパソコンを買うはめになってしまった。

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疲れるね

2010-08-27 14:17:00 | 日記
ヒートアイランドと化したような昼夜の暑さに参ったね。
南方より北方が高温という逆転現象もあって、沖縄より東京が1℃高い日もあった。

何処の家もエアコンのつけっぱなしだから、夜気に触れるとムーっとして窓も開けられない。
今朝方から幾分涼味が出てきたようで風も心地よく感じる。

2日前には年甲斐もなく駆けずり回ったおかげで、腰を痛め昨日一日はぐうたら寝たり起きたりでした。でも、一日で済んだようです。

駐車場の整理でメィンとサブの間を行ったり来たり、坂道の駆けっこでした
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〈病棟記〉

2010-08-24 17:58:00 | 日記
23日(月) 一週間ぶりに外来診療をうけたあと、K医師から『次は2週間後にしましょう』と嬉しい診断をいただく。

「フレキシブルアイスコープ」と云うのだろうか 細い管の先にレンズの付いたカメラで耳中を撮影し、コンピュータに連動した写真を頂いたが、形状はとても綺麗におさまっているのが見えた。

「形状は」と断り書きをしたのは、見た目と機能が一致しないからである。
「MRSA」という厄介な耐性菌の処置を優先したために、内耳骨の移植まで手が回らなかったみたい。

さいわい、「MRSA」による疾患そのものは治まったようなので、後段の処置も可能なのだけれど、完全復活は難しいという。

ともあれ、何んとか社会環境について行っている現状をしばらく続けてみよう。
病気一つをとってみても、我がままならないのが現実の世なのだから。

〈病棟記〉もそろそろ飛ばして先を急ごう。
WC(ワールドカップのこと)南ア杯が持ちきりで、グダグダ書いているのですがクリアです。

 
 6月27日(日)
妻は昨日、自作のハーブエキスと梅肉エキスを持ってきてくれた。チチ○スヨーグルトも特別に持参したのだけれど、食後にこれらを食するとかなり腹がきつくなる。(若干太るかも…なんて書いてある)

ハーブエキスにしても梅肉エキスにしても、長期の飲用を続けてこそ効果があるわけで、
体質改善という願望も、水平線の彼方に潜んだままで簡単には表れない。

日曜日だから外来処置はないものと思っていたら、看護師さんが呼びにきた。
『K先生が外来で待っています』

09:00外来処置を受ける。

K医師が言うには、「土、日曜が1回、平日に2回」の処置をしてくれるということだった。
私が「MRSA」なので特別な配慮なのだろう。

『どうですか、変わったことはありませんか?』ベッドに横たわった私の耳元でK医師が声をかける。
「もう痛みを感じません。器具の感触も気になりません」と手術以来10日目の傷が安定している感じを伝える。

それでもK医師は『治りが遅いですから、ゆっくり時間をかけて直していかないとね』
慈愛に満ちた言葉、、、感謝感謝です。
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〈病棟記〉

2010-08-22 22:38:00 | 日記
この頃の日記を見てみると、「背中が痛い」という語句が何箇所か出てくる。
起き上がって動いてみるものの、絶対量ははるかに寝ている時間なのだから、当然そうなるのです。

さらに夜中の数回の尿意とくれば、朝寝坊の常習者みたいになって、美人に起こされるパターンが嬉しくもある。

一週間分の錠剤も今日で終わり、新たに一週間分の錠剤を手渡された。

今までの薬(一回分の量)
  フロモックス錠 100mg×1
  ムコダイン錠  250mg×2
  ムコスタ錠   100mg×1

新しい薬(同)
  クラリシッド錠 200mg×1
  ムコダイン錠  250mg×2
  ムコスタ錠   100mg×1

今までの薬とは一種類違うだけ。
いただいた薬はきちんと飲みました。

同じ日に2階上(多分)の6階で、所属しているところの副会長Kさんが亡くなったそうである。あまり話したことはないけれど、分かっていれば見舞いに行けたのに…胃癌か胃潰瘍だったと後に聞いた。

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<病棟記>

2010-08-22 00:47:00 | 日記
 6月25日(金)
7:30『conさぁん、朝食の用意ができました』看護師さんにぐっすり寝ているところを起こされた。
洗顔してディルームに行くと、南ア杯の対デンマーク戦で勝った喜びをTVが伝えていた。「ほぉ、勝ったんだ!」思わず声が出る。

3-1で勝った殊勲の本多や永友、闘莉王そして大久保なんかがインタビューを受けているところだった。
とは言ってもVTRを流しているだけなので、既成事実を追認するにすぎないのだから感動はいまひとつ迫力がない。

予選通過に向けて次のパラグァイ戦をどう戦うのか、闘莉王は『出来るなら戦いたくない相手』だと言っていた。『自分たちのサッカーを精いっぱいやるだけ』闘莉王は南米の強さを知っているだけに謙虚に対応している。

岡田ジャパンがどこまで通用するか、勝ち進めるかが今後のカギとなる。

8:30外来処置
巻いていた包帯が取れた。見える形で快方に向かっているのが嬉しい。
病棟に帰ってくるとナースに呼び止められた。『シャワーを浴びるときは声をかけてください』

「はい」と返事はしたものの・・・包帯を取り外したばかりなので、細菌感染に注意しなければ・・・勝手に意味を要約すると売店に行ってバスタオルを買ってきた。

16:00外来処置
「先生、コーヒーを飲んでもいいですか?」
処置を終えたあとで聞いてみる。
先生は『1杯だけならいいです』右手の人差し指を立てて1杯だけを強調する。

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〈病棟記〉

2010-08-19 22:41:00 | 日記
 6月23日(水)

08:30外来処置
昼前に首から下のシャワーを浴びる。
前線通過による大雨の予想も、さほどの降りでもなく正午ごろには止んでいた。

16:00外来処置
K医師が抗生剤の代わりに雑菌の殺菌滅菌を十分にやります、と言って傷口から消毒剤?(多分)を注入し、洗浄と吸引をしたあとガーゼを何枚も詰めて終わるのだけれど、非常に丁寧な処置をしてくれているな、というのが実感でした。


 6月24日(木)

広範に雲のかかった曇天。
多摩の山並がはっきりと稜線を現わしている。
08:30外来処置
夕の処置は都合により取りやめ。

新しく購入したWindows7のノートパソコンが気になっている。旧パソコンからデータ移送が完了していないと思えるからで、ブロードバンドルーター経由の引っ越しに今いち納得できないでいる。
(退院後にアンインストーして、直接移送ケーブルを使ったら難なく完全に移送できたのだけれど)

新しいPCは富士通FMV-BIBLO NF/G50
CPU:インテル®Core™i3-330M プロセッサー

旧PCに比べればHDD500GB、メモリも4GBが大きく違うところか。万年初心者の自分にとっては性能はどうであれ、¥金の安値にひかれたのだから自慢しているわけではないからね。 
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〈病棟記〉 

2010-08-16 21:43:00 | 日記
通院が一週に一度となって、今日はその診療日。
10:30の予約時間を10分ほど待たされて、名前を呼ばれた。本を読んでいたので電子掲示板を見落としたのかな。

「どうですか?変わりませんか」診察台に横たわるとすぐに、K医師が聞いてきた。
「安定しているようです。臭くもないようですから」
そう云った後、自分の言葉に100%の確実性がこもっているか反芻するかのように、天井の一点を見つめた。

「良いですね」K医師はそう言いながら、「洗浄だけしておきます。」と言って手際よく診療を終えた。
「また一週間後に来てください」


〈病棟記〉6月22日(火)

8:30外来処置
正午前に看護師さんが来て「先生からシャワーの許可が出ました」と言って、首から下の洗浄をするように伝えてきた。

病院によってはすべてレンタル方式をとるところもあるけれど、ここは必要品のすべてを持参するのが原則で、入浴剤も持参したものだった。もちろん後から知ったことではあるが、売店に行けば殆どのものは売っている。

体を洗浄することがMRSA患者にとって、他者への配慮にもなるし、自己防御にもなる。
このように入院早々に自覚を促してくれた現代っ子の美人看護師さんは、トイレの後にも手指の消毒を欠かさないように忠告してくれていたのだった。

洗浄や消毒の必要性をはっきり認識した旨を美人看護師に伝えると、

「私が言ったことを分かってくれた?」

その言葉から、どこか遠慮気味に『~した方がいいわよ』と消毒を勧めていたのを思い出した。
食事は毎食完食する。2週間分の服薬も、毎食後きちんと飲んでいる。

18:30K医師が病室まで呼びに来る。外来にて処置。
看護師さんは誰もいない。先生一人でガーゼや脱脂綿、包帯と、ガチャガチャ探しながら
一通りの処置をしてくれたのには、胸がジーンときた。
おまけに火曜日(今日)は手術日なのに、、、ね。
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〈病棟記〉 5日目

2010-08-14 22:37:00 | 日記
 6月21日(月)

8:30外来処置。
治療中の傷口に器具の感触が生々しく痛い。

ベッドで上半身を起こして軽い体操をする。
左右に反転させるだけの運動だが、耳を気遣いながら5,6分ほどでやめる。

午後4時前に妻子が見舞いに来る。
駅からほど近い距離を歩いて来るのだけれど、二人の顔が熱気で上気している。さぞや暑かったろう。

院内は冷房が利いているので、話をしているうちに熱はおさまったようだ。
妻は大好きな茹でトウモロコシとシュークリームを持ってきてくれた。さっそく話しながら食べる。

16:00今日2回目の外来処置に呼ばれ、2Fに降りる。妻子はこの階にあるレストランで私が治療を終えるのを待っている。

今日をはじめとして、これからも朝夕2回の治療処置をしていくことになった。
K医師の休日も辞さない手厚い処置に助けられていくのです。

帰り際の妻子には、売店で買った安いケーキをお土産に渡した。
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〈病棟記〉 4日目

2010-08-13 15:32:00 | 日記
 6月20日(日)
9:00K医師の外来処置あり、ガーゼを詰め直し包帯する。
食欲も徐々に出て、ほぼ完食に近い。
主食も「おもゆ」から「おかゆ」に、そして今日から通常のご飯になった。

痰が切れない、少量の血も混じっている。
手術の際に酸素呼吸などの管を挿入したので、そのせいでしょう。

S子さんのお見舞いで戴いた「文明堂カステラ」を2切れほど食べる。3切れは同室の若い脳外科患者にあげた。
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〈病棟記〉 3日目

2010-08-11 23:20:00 | 日記
 6月19日(土)
早朝5時に目覚めた。
病棟の消灯が21時ともなれば、否応なしに目を覚ましてしまう。

包帯に巻かれた耳が枕に密着しないように、寝返ることも満足に出来ない状態では、朝を待つまでもなく背中が強張って寝ていられない。

6時に自主検温をしてみる。
35度5分・・・平常範囲に入る。

7時半ごろ看護師さんが朝食を持ってきてくれた。
土曜日はお決まりで、丸い小さなパンが二つと、それにスープ、惣菜、お新香、ジュースまたはヨーグルトが付いてくる。
3日目くらいになると、ほぼ完食に近い摂取ができて元気が出てくる。

今日から錠剤薬を服用するようにと看護師さんが持ってきたのは、朝昼夕それぞれに仕分けされた薬包なのだが、当然この中には抗生剤も入っている。

K医師は『多分効かないと思う…』と言いながら出してくれた抗生剤は、MRSAの吾輩にとって飲んでも飲まなくても変わりないのだけれど、痛み止めなんかの薬とともに一日3回の服用をまめに続けた。

薬の作用かどうか分からないけれど、下痢に襲われて立て続けにトイレへ…

耳の包帯が解けてしまい、看護師さんに巻き直してもらう。

ワールドカップ南ア杯が始まっている。
日本―オランダ戦が夜8時過ぎにキックオフになるのを待って、ベッド脇のTVにスイッチを入れた。

傷によくないと思いつつ、それでも前半を見通したのだがさすがにダウン。
0対0で前半を終わったものの、ボールのキープ率はオランダが優勢だった。

後の結果は1対0で負けたのでしたね。
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〈病棟記〉 2日目

2010-08-10 15:16:00 | 日記
その前に現情を簡単に記してみよう。
昨日(9日)は、週2回の外来診療日だった。診療後にK医師は、『ずいぶん良くなってきました。次の予約は16日にしましょうか』と、うれしい予後経過を示してくれた。

間隔が1週間に伸びたのである。
自己免疫が増強された結果かもしれない。なぜなら、入院中から梅肉エキスを続けて飲んできたからである。

K医師の言では梅肉エキスがMRSAの改善に役立つとは思えない、と言うことだった。が、MRSAを宣告されてからは、何とかして体質改善をしなければと思い、自家製のハーブヨーグルトも併せて飲んできたのです。

退院後はほとんど梅肉エキスだけになりましたが、時おりハーブヨーグルトも飲ませてもらっています。
さて、病棟記の続きを綴ってみよう。

 6月18日(金)

朝から点滴を続ける。
09:00尿管を抜いた後、若い看護師さんが温タオルを手渡して、周りを拭くようにと言いながら終わるのを待っている。

手術着からパジャマに着替える。
看護師さんが手伝うようすを見せたが、その必要もなかった。丁字帯と手術着を渡すと看護師さんは部屋から出て行った。

15:20術後初めての外来処置に呼び出される。
耳中のガーゼを取り換えたあとK医師は『MRSA』であることを強調しながら、『時間をかけて直していきましょう』と言った。

術前にも『MRSA』と言う用語は聞いていたが、単に「薬が効かない…」という大雑把な理解だけで、療養生活の上でどのように身を処したらいいのか分かっていなかった。

『大変手のかかる』病変であることを、近々外来処置を通して分かってくるのである。
今しなければならない事は、食事をきちんと摂ることなのだ。
体力が免疫の補充になると思ったからである。

包帯を巻いた右耳をカバーするように頭を傾けて寝ていると、「ズバンズバン」と、呼吸に合わせて耳奥で唸る。傷口が疼くというのでもない、呼吸を止めると鳴らなくなる。

何度か息を止めたりしているうちに、いつの間にか眠りについた。
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〈病棟記〉 手術の日 

2010-08-09 17:07:00 | 日記
6月17日(木)
朝6時頃に目が覚める。そのままうとうとして7時起床。朝食はなし。

9:30 検温、血圧測定、点滴始め。
10:55 妻、手術立会いのため来室。

通路の端にある談話コーナーで、妻と会話中に看護師さんが呼びに来る。

13:00 手術衣に着替えてベッドに寝たまま、3Fの手術室へ運ばれる。
(右に回り、左に回り、いくつかのドアーが開けられては締まる。エレベーターがいやに広いな~などと経路の痕跡を刻んでいた)

手術室の前で妻の追従が止められ、終わるまで待機となる。この間に妻の友人が来て、レストランで待機していたらしい。

手術室入室と同時に即、麻酔処置をして、、、どのくらい時間がたったのだろう。
夢を見ていたというのでもない、ある空間域にいたことは感じた。

突然耳元で声がした。『手術が終わりましたよ!』男性の声だった。麻酔から覚めたといっても痛みは感じない。
手術室を出ると妻が顔を覗き込んできた。

それもその筈で『顔面神経痛の恐れもある、』と医師から宣告を受けていたからだった。顔がひん曲がっていないのを見届けて、ホっとしたことだろう。

455号室に戻ると、今度は妻の顔の奥にS子さんの顔を見た。ちらりとだが写真で見た顔に違いなかった。4時間も待機してくれた感謝の気持ちを込めて、「もう帰っていいよ」「S子さん、ありがとうね!」妻とS子さんにお礼を言って帰ってもらった。

それから2時間後に夕食が出たけれど、箸を汚した程度で食べるのをやめた。というより食べられなかった。
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病棟記 

2010-08-08 19:09:00 | 日記
入院中の日記は思いのままに綴った私記であり、闘病と言えるような投薬の記録もなく、誰かの役に立つデータを記したものでもないので、カフエ日記にふさわしいものか迷いました。

それでも耳は五感のひとつであり、大事な器官なので疾病を放っておけないことは言うまでもありません。入院して思ったことは、耳の手術患者が意外に多いことでした。


就学前の幼児から60代後半まで、発症の原因はさまざまでしょうが鼓室形成術を受けています。
術前に「計画書」が渡されるのですが、それを見ることで入院生活の態様が分かるようになっています。

6月16日 入院当日
AM10:30までに入院受付に到着、手続きを済ませて病棟に入る。W棟455号室へと病棟看護師さんに案内された。

手術前日ということで病棟内は自由に行動できる。
看護師さんが右耳のまわり約3センチ幅で髪を剃る。いくらか緊張の伴う最初の行為であります。そのあとでシャワーを浴びた。

あすはいよいよ手術当日であります。
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病棟記はノートの中に

2010-08-04 22:24:00 | 日記
正確には38日間の入院生活だったが、痩せ衰えるほどの内部疾患重症患者ではなく、頭部とはいえ耳科の患者であるから、ほぼ原形を保って退院できたのは良かった。

頭部ということからか脳外科の患者と同室で、頭に包帯を巻いていたということが強いて言えば共通しているものの、脳外科の患者の方が病人らしかった。

肩身が狭いと思ったことはないけれど、耳鼻科の患者は2週間ほどで退院するのが普通らしく、そんななかでMRSAの私は特攻隊を見送るように、次々と先を越されていった。

けれど、前の日記に書いたように退屈しない日々を送れたのも事実である。
確かに若い娘の多いナースステーション(ここでは『スタッフステーション』と呼んでいた)の前を通る時は胸のときめきに似た華やかさが漂ってくるし、ディルームで食事をするときはお婆さんたちと短い会話を楽しんでいた。

そして暇さえあれば、ノートに日記を書きこんでいたのが、最も退屈しのぎになったと思っている。テレビを観ても、新聞を見ても、医師や看護師の所作を見ても、とにかくノートの中に閉じ込めてしまう。

『○○さ~ん、食事が用意されています』
看護師さんが病室まで呼びに来てから、腰を上げるのが常だった。



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ふうっ

2010-08-04 01:50:00 | 日記
疲れた。久しぶりの勤めで、足が棒のように突っ張りました。
普段は運動のつもりで動き回れるのに、、、まぁいいさ、今夜はもう寝ます。
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