「こういうのは専門外なんだがな・・・」
そればかりか管轄外でもある。
常磐道を降りてから約三〇分、こわばった首を回しながら、榊はようやく車を降りて、『茨城県先端科学技術工業団地』、と仰々しく太ゴシック体で書かれた看板と、碁盤目に細分化された地図を見上げた。
周囲は緑なす山々が取り囲む、ハイキングならお似合いの山間地だ。だが、目的とする目の前の山だけ少し様子が異なっていた。遠くから見ると、ふもとのあたりは周りの山とさして変わらないのだが、上半分がざっくりとえぐり取られたように平らにならされており、上部の斜面も芝と思われる背の低い草で覆われている。その山へ登っていく一本きりの道は、緑深い山の中に伸びていく様に見えてはなはだ心許ない。榊はいつもながらのくたびれたコートのポケットに右手を突っ込み、くしゃくしゃになりかけのラークの箱を取り出しながら、目的の社名をその地図に探した。更に一〇〇円ライターを胸ポケットから捜し出し、くわえ煙草に火を付けた辺りで、ようやく地図の左端上方に、その名前を見つけることが出来た。
「ナノモレキュラーサイエンティフィック、か」
呟いてはみたものの、何をする会社か榊にはさっぱり判らなかった。ベンチャー企業の一つで、鬼童によると途轍もなく小さな針を作る技術を開発しているところだそうだが、そこに一体どんな手がかりがあるのか、ここまで来ても榊にはまるで見当が付かない。
「それにしても、がら空きだな、ここは」
ざっと見渡した地図には、企業の名前が入っていない土地が大半を占めていた。出来て間もない工業団地というせいもあるのだろうが、昨今の不景気で、思うように企業が集まらないのだろう。めぼしい企業というと、目的の会社のすぐ脇に、「ドリームジェノミクス社」と書いてあるくらいだ。榊は取りあえず場所を確認したところで、ライターとラークの箱を再び乱暴にコートのポケットに突っ込んだ。道は、地図によると、いったん山に登った後、更に一番端までぐるりと一本道を行かねばならないことになる。
「さて、と。もうひとがんばりだな」
再び車の運転席に戻った榊は、たばこを一旦車の灰皿に押し込み、エンジンを始動した。
しばらくは藪の中をただひたすら走り続け、ぐるりと山を巡るようにしてカーブを切ったところで、目的の工業団地が目に入った。
団地は全体として全くの平面というわけではなく、幾つかの大まかな区画が、段々畑のように別れて山の斜面に沿って並んでいる。その斜面だけはきれいに植裁された背の低い草で覆われており、赤や白の可憐な花がそこここで咲いているのが見えた。一方、分譲用の土地はお世辞にもきれいとは言えなかった。ふもとの地図は正しかったようで、榊の見るところ、ほとんどの土地が、むき出しになった赤土の原野に、所々思い出したようにかすれたような緑を点じる、背丈の低い雑草が生えているばかりの裸地であった。そんな殺風景な景色の中を、ま新しいアスファルトをしいた立派な道路が伸びていく。本来ならこの団地を行き来する車で賑わう道なのだろうが、今ここを走るのは、ただ榊の車ばかりであった。
しばらく走って造成地の丘を一つ越えたところで、目的の建物が見えてきた。赤茶と緑で埋め尽くされた中に並び立つ、二つの白色の建物が、まるで浮き上がっているかのようにはっきり見えた。特にちょうど太陽の角度がいいと見えて、壁面を埋め尽くすガラスの反射がまぶしく、一種の神々しささえ覚えかねない景色だ。下の地図によれば、あの位置はドリーム何とか社と目的のナノモレキュラーサイエンティフィックということだろう。
榊は更に団地内道路を飛ばし、程なくナノモレキュラーサイエンティフィックの正門に辿り着いた。もう一つの建物はちょうど手前の建物と重なって、ここからは半分しか見えない。一旦車を止めて外に出た榊は、途端に両脇から投げかけられた物々しい視線を意識した。見ると陸自か機動隊で鍛え上げたような屈強の偉丈夫が二人、一昔前の警官のような警備員ルックに身を固めて、じっとこっちを見据えている。ただの警備員にしては眼光が鋭すぎる。警戒というよりはほとんど敵意に近いんじゃないか? と榊はその視線を受け止めながら、ぴたりと閉じた門の右外れに建っている、警備員の詰め所に歩み寄った。窓口にも同じ格好の警備員がおり、胡散臭そうな目つきで榊をじろじろと見ながら、口調だけは丁寧に記帳簿とペンを榊に差し出した。
「そこに名前と御社の名称、弊社の誰にアポを取っていらっしゃるか、来訪の目的を記入して下さい」
真新しい記帳簿に並ぶのは、筑波大学や城西大学、精密工学系の大企業の関係者であり、中にはマスコミの名前も散見された。その最下段の空いている一行に、独特の力強い字で自分の名前と、「警視庁」、の一言を書き付ける。アポイントは鬼童の研究所を出る前にここの社長に取ってあるので、それをそのまま記載する。すると、警備員は即座に電話の受話器を上げ、内線を繋いで確認を入れた。
そればかりか管轄外でもある。
常磐道を降りてから約三〇分、こわばった首を回しながら、榊はようやく車を降りて、『茨城県先端科学技術工業団地』、と仰々しく太ゴシック体で書かれた看板と、碁盤目に細分化された地図を見上げた。
周囲は緑なす山々が取り囲む、ハイキングならお似合いの山間地だ。だが、目的とする目の前の山だけ少し様子が異なっていた。遠くから見ると、ふもとのあたりは周りの山とさして変わらないのだが、上半分がざっくりとえぐり取られたように平らにならされており、上部の斜面も芝と思われる背の低い草で覆われている。その山へ登っていく一本きりの道は、緑深い山の中に伸びていく様に見えてはなはだ心許ない。榊はいつもながらのくたびれたコートのポケットに右手を突っ込み、くしゃくしゃになりかけのラークの箱を取り出しながら、目的の社名をその地図に探した。更に一〇〇円ライターを胸ポケットから捜し出し、くわえ煙草に火を付けた辺りで、ようやく地図の左端上方に、その名前を見つけることが出来た。
「ナノモレキュラーサイエンティフィック、か」
呟いてはみたものの、何をする会社か榊にはさっぱり判らなかった。ベンチャー企業の一つで、鬼童によると途轍もなく小さな針を作る技術を開発しているところだそうだが、そこに一体どんな手がかりがあるのか、ここまで来ても榊にはまるで見当が付かない。
「それにしても、がら空きだな、ここは」
ざっと見渡した地図には、企業の名前が入っていない土地が大半を占めていた。出来て間もない工業団地というせいもあるのだろうが、昨今の不景気で、思うように企業が集まらないのだろう。めぼしい企業というと、目的の会社のすぐ脇に、「ドリームジェノミクス社」と書いてあるくらいだ。榊は取りあえず場所を確認したところで、ライターとラークの箱を再び乱暴にコートのポケットに突っ込んだ。道は、地図によると、いったん山に登った後、更に一番端までぐるりと一本道を行かねばならないことになる。
「さて、と。もうひとがんばりだな」
再び車の運転席に戻った榊は、たばこを一旦車の灰皿に押し込み、エンジンを始動した。
しばらくは藪の中をただひたすら走り続け、ぐるりと山を巡るようにしてカーブを切ったところで、目的の工業団地が目に入った。
団地は全体として全くの平面というわけではなく、幾つかの大まかな区画が、段々畑のように別れて山の斜面に沿って並んでいる。その斜面だけはきれいに植裁された背の低い草で覆われており、赤や白の可憐な花がそこここで咲いているのが見えた。一方、分譲用の土地はお世辞にもきれいとは言えなかった。ふもとの地図は正しかったようで、榊の見るところ、ほとんどの土地が、むき出しになった赤土の原野に、所々思い出したようにかすれたような緑を点じる、背丈の低い雑草が生えているばかりの裸地であった。そんな殺風景な景色の中を、ま新しいアスファルトをしいた立派な道路が伸びていく。本来ならこの団地を行き来する車で賑わう道なのだろうが、今ここを走るのは、ただ榊の車ばかりであった。
しばらく走って造成地の丘を一つ越えたところで、目的の建物が見えてきた。赤茶と緑で埋め尽くされた中に並び立つ、二つの白色の建物が、まるで浮き上がっているかのようにはっきり見えた。特にちょうど太陽の角度がいいと見えて、壁面を埋め尽くすガラスの反射がまぶしく、一種の神々しささえ覚えかねない景色だ。下の地図によれば、あの位置はドリーム何とか社と目的のナノモレキュラーサイエンティフィックということだろう。
榊は更に団地内道路を飛ばし、程なくナノモレキュラーサイエンティフィックの正門に辿り着いた。もう一つの建物はちょうど手前の建物と重なって、ここからは半分しか見えない。一旦車を止めて外に出た榊は、途端に両脇から投げかけられた物々しい視線を意識した。見ると陸自か機動隊で鍛え上げたような屈強の偉丈夫が二人、一昔前の警官のような警備員ルックに身を固めて、じっとこっちを見据えている。ただの警備員にしては眼光が鋭すぎる。警戒というよりはほとんど敵意に近いんじゃないか? と榊はその視線を受け止めながら、ぴたりと閉じた門の右外れに建っている、警備員の詰め所に歩み寄った。窓口にも同じ格好の警備員がおり、胡散臭そうな目つきで榊をじろじろと見ながら、口調だけは丁寧に記帳簿とペンを榊に差し出した。
「そこに名前と御社の名称、弊社の誰にアポを取っていらっしゃるか、来訪の目的を記入して下さい」
真新しい記帳簿に並ぶのは、筑波大学や城西大学、精密工学系の大企業の関係者であり、中にはマスコミの名前も散見された。その最下段の空いている一行に、独特の力強い字で自分の名前と、「警視庁」、の一言を書き付ける。アポイントは鬼童の研究所を出る前にここの社長に取ってあるので、それをそのまま記載する。すると、警備員は即座に電話の受話器を上げ、内線を繋いで確認を入れた。