かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

もう銀河の流れは夢の中でしか見ることができないのかもしれません。

2007-12-25 22:31:53 | Weblog
 今朝の夢はあまり覚えていないのですが、街中で夜空を見上げると、見事な天の川の輝きが見えた、というものでした。星もたくさん見えたのですが、いざ見ようと目を凝らすとかえってぼけて見えなくなり、視線をずらしてピントを外すと逆に良く見えるという状態で、久々に眺める天の川を満喫しておりました。
 思えば天の川を見たのは一体いつが最後だったでしょう。ちと記憶も定かでないはるか昔だったような気がするのですが、場所はそれとなく覚えています。実家から自転車で1時間ばかり走った山の中のちょっと開けた小高い丘の上、だったような気がします。とするとそれはきっと中学か高校時代でしょうから、もうン十年も昔のことになります。そのときの、何か不思議で荘厳としていて怖いような不安定で漠然とした畏れの気持ちは、今でもほのかに覚えています。夜空一面が星で埋め尽くされた光景、というのは更に昔の小学生低学年時代の夏休み、父の故郷の鹿児島県の漁村にある祖父の家に遊びに行った折に見ましたが、あの時も驚きとともに恐ろしさを覚えたのを記憶しています。
 日常大阪とか今は奈良県ですが、それなりに街中に住んでいますと星空というのは残念ながら有名な星座や惑星の見分けが何とかつくぐらいにしか見えません。今仕事をしている吉野の山奥の職場でさえ、あまりはっきりと星が見えないようで、この間久方ぶりに昴を見て、ちょっと感動したくらいが関の山で、銀河などついぞ見えたためしがありません。もっとも職場では、そんなに遅くまでいるわけではないので、泊まりこみなどしたらまた違った空が見られるのかもしれませんが。
 仕事柄地方へいくこともしばしばですが、そこでもあまり星が綺麗だったという記憶がありません。してみると、ここ20年くらい今朝夢で見たような美しい星空を眺めたことがないといえます。夜空を見上げるのは割りと好きなので結構頻繁に見ているはずなのですが、今の世の中、天の川が頭上にかかっている光景、というものは、ほとんど得られないのかもしれません。
 11月末くらいから家々で電飾をきらめかせるのがはやっているのか、今年はあちこちでそれを見かけました。それはそれでカラフルでよろしかろうとは思うのですが、(個人的にはエネルギーの無駄遣い、と言う気もしないでもないです)たとえば年に1回くらい、できれば空気が綺麗に澄む冬の一日に、「天の川の日」とか「銀河の日」とか作って、可能な限り人工の光を出さないようにする夜を作ってみてもいいんじゃないでしょうか。まあ今日日防犯とか何とか難しい世の中になっていますから実現は困難を極めるとは思いますが、特定の場所だけ、とか時間とか区切ってやるとか、何か工夫して、街中でも美しい夜空を楽しむ機会があってもいいんじゃないか、と思いました。

コメント
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