興奮気味に早足で玄関口まで到達した高原は、そこに待つ初老のひげ面を見て、一瞬だが確かに虚をつかれた。確かに追い返したはずのよれよれなレインコート姿が、そのままそこに立っているではないか。ふと、海外有名刑事ドラマの主人公を連想して、高原は思わず失笑を漏らしそうになった。さっき吉住を操って適当にあしらったのだが、最後の場面で蘭達3人のいらざる手出しに離れざるを得なかった。吉住にはうまく追い返すように言い残してきたが、それが何らかの齟齬をきたしたのかもしれない。とはいえ、こちらは二度目でもあちらは初対面だ。高原は気を落ち着けると、仏像のような微笑みを口元に浮かべ、その警視庁警部に歩み寄った。
「お待たせしました。私はこのDG社中央研究所長の高原と言います」
榊は一礼して警察手帳を取り出すと、改めて自己紹介した。
「私は警視庁の榊と言います」
「で、一体警視庁の方がなんのご用ですか? 今取り込み中なので出来るだけ手短に願いたいのだが・・・」
なるほど、かなり苛立っているようだな。榊は、一見物腰柔らかく見える高原の外観に、切迫した雰囲気を感じ取った。実験の途中だったのだろうか? たまに鬼童のところに行くと、こういう雰囲気をたっぷりまとって応対されることがある。榊はそれを敏感に感じ取って、とにかく手早く用件だけ済まそうと心がけた。
「実は先日、警視庁宛に怪盗二四一号、通称夢見小僧で知られている窃盗犯から犯行予告状が届いたのですが、その件について少しお話を伺えたらと思いまして」
また白川蘭か! 高原はさっき重要実験施設に置き去りにしてきた娘の小面憎い顔を思い出した。が、細心の注意で心の内にその姿と瞬間的にわき上がった感情とをしまい込み、素知らぬ体で榊に言った。
「それで? 我が社と何か関係があるんですか?」
「その予告状に記された犯行目的が、御社の研究資料にあったんです。御社には予告状は届いていませんか?」
なるほどそう言うことか。高原は、ようやく榊が「また」現れた事情を理解した。警視庁に届いた予告状を、一応確かめに来たというわけだ。それもたまたまナノモレキュラーサイエンティフィックへ捜査に来ていたために、ついでに立ち寄ったと言うことだろう。まさか何か感づかれたかと構えていた高原は、その取り越し苦労にほっと心の中で溜息をついた。
「いや、大じょうぶです。うちにはそんな予告状は届いておりませんよ。何かの悪戯ではないのですか?」
「そうですか、やはり来てませんか。いや、お忙しいところお邪魔しました。ですが、もし万一何かありましたら、必ずご一報下さい」
「判りました。必ず連絡します」
高原はいつもの癖で握手の右手をさしのべた。榊も釣られて右手を差し出す。そして、あれ? と思った。ついさっき、かわしたばかりの握手と雰囲気がそっくりだったのだ。それも、ナノモレキュラーサイエンティフィック代表取締役社長、吉住明と交わした初対面の時の方の握手と。妙なこともあるものだ、と神妙な顔つきになった榊だったが、とにかくこれ以上長居は無用と、高原に見送られて玄関を出た。
駐車場の車に戻った榊は、ここでも入り口で手渡されたバッチを思い出して、襟元に手を伸ばした。ところがちょっと建物の上階に気取られた隙に、あっという間もなくバッチが榊の手からこぼれた。丸いバッチは絶妙の角度で着地したらしく、たちまちころころと転がって、駐車場脇の花壇に隠れた。やれやれ、と榊は花を踏まないように注意しながら、転がっていったバッチを探した。そこで、ふと榊の手が止まった。何か見覚えのあるものが、その花壇の中に見えたのだ。榊はバッチを後回しにしてその物体に手を伸ばした。玄関の警備員に背を向け、何を拾ったか見えないように気を配りながら、そっとそのものを内ポケットに滑り込ませる。そして何喰わぬ顔でバッチを拾い上げ、じっと見つめている警備員に、照れくさそうな笑顔を向けた。警備員は、ふん、とあからさまな軽蔑の視線を投げかけてきたが、榊が懐に飲んだものにはまるで気づいていないようだった。
榊はそれでも慎重に車に移動し、警備員達が近寄ってこないことを確認してから、車をスタートさせた。来た道をまっすぐ戻って正門でバッチを返し、ゆっくりと車を走らせる。榊は、しばらく走ってDG社の建物が見えなくなるところまでくると、いったん車を止め、改めて誰一人追いかけてくる様子もないことを確かめてから、改めて思い切りアクセルを踏み込んだ。
(まさかとは思うが、とにかく確かめてみよう)
工業団地の出口まで降りると、榊は逸る心を抑えながら携帯電話を取り出した。
「お待たせしました。私はこのDG社中央研究所長の高原と言います」
榊は一礼して警察手帳を取り出すと、改めて自己紹介した。
「私は警視庁の榊と言います」
「で、一体警視庁の方がなんのご用ですか? 今取り込み中なので出来るだけ手短に願いたいのだが・・・」
なるほど、かなり苛立っているようだな。榊は、一見物腰柔らかく見える高原の外観に、切迫した雰囲気を感じ取った。実験の途中だったのだろうか? たまに鬼童のところに行くと、こういう雰囲気をたっぷりまとって応対されることがある。榊はそれを敏感に感じ取って、とにかく手早く用件だけ済まそうと心がけた。
「実は先日、警視庁宛に怪盗二四一号、通称夢見小僧で知られている窃盗犯から犯行予告状が届いたのですが、その件について少しお話を伺えたらと思いまして」
また白川蘭か! 高原はさっき重要実験施設に置き去りにしてきた娘の小面憎い顔を思い出した。が、細心の注意で心の内にその姿と瞬間的にわき上がった感情とをしまい込み、素知らぬ体で榊に言った。
「それで? 我が社と何か関係があるんですか?」
「その予告状に記された犯行目的が、御社の研究資料にあったんです。御社には予告状は届いていませんか?」
なるほどそう言うことか。高原は、ようやく榊が「また」現れた事情を理解した。警視庁に届いた予告状を、一応確かめに来たというわけだ。それもたまたまナノモレキュラーサイエンティフィックへ捜査に来ていたために、ついでに立ち寄ったと言うことだろう。まさか何か感づかれたかと構えていた高原は、その取り越し苦労にほっと心の中で溜息をついた。
「いや、大じょうぶです。うちにはそんな予告状は届いておりませんよ。何かの悪戯ではないのですか?」
「そうですか、やはり来てませんか。いや、お忙しいところお邪魔しました。ですが、もし万一何かありましたら、必ずご一報下さい」
「判りました。必ず連絡します」
高原はいつもの癖で握手の右手をさしのべた。榊も釣られて右手を差し出す。そして、あれ? と思った。ついさっき、かわしたばかりの握手と雰囲気がそっくりだったのだ。それも、ナノモレキュラーサイエンティフィック代表取締役社長、吉住明と交わした初対面の時の方の握手と。妙なこともあるものだ、と神妙な顔つきになった榊だったが、とにかくこれ以上長居は無用と、高原に見送られて玄関を出た。
駐車場の車に戻った榊は、ここでも入り口で手渡されたバッチを思い出して、襟元に手を伸ばした。ところがちょっと建物の上階に気取られた隙に、あっという間もなくバッチが榊の手からこぼれた。丸いバッチは絶妙の角度で着地したらしく、たちまちころころと転がって、駐車場脇の花壇に隠れた。やれやれ、と榊は花を踏まないように注意しながら、転がっていったバッチを探した。そこで、ふと榊の手が止まった。何か見覚えのあるものが、その花壇の中に見えたのだ。榊はバッチを後回しにしてその物体に手を伸ばした。玄関の警備員に背を向け、何を拾ったか見えないように気を配りながら、そっとそのものを内ポケットに滑り込ませる。そして何喰わぬ顔でバッチを拾い上げ、じっと見つめている警備員に、照れくさそうな笑顔を向けた。警備員は、ふん、とあからさまな軽蔑の視線を投げかけてきたが、榊が懐に飲んだものにはまるで気づいていないようだった。
榊はそれでも慎重に車に移動し、警備員達が近寄ってこないことを確認してから、車をスタートさせた。来た道をまっすぐ戻って正門でバッチを返し、ゆっくりと車を走らせる。榊は、しばらく走ってDG社の建物が見えなくなるところまでくると、いったん車を止め、改めて誰一人追いかけてくる様子もないことを確かめてから、改めて思い切りアクセルを踏み込んだ。
(まさかとは思うが、とにかく確かめてみよう)
工業団地の出口まで降りると、榊は逸る心を抑えながら携帯電話を取り出した。