今日の最高気温13.3℃は午前2時35分の記録でした。その後、朝の最低が10.3℃でしたが、ろくすっぽ日も照らない昼間は11.7℃までしか上がらず、肌寒い日中のままどんどん気温は下がり、19時15分には暫定で6.6℃の最低気温を記録、恐らく明日朝は更に冷え込んでくることでしょう。もっとも、一昨日昨日と居た東京はこれから雪が降ってきて、明日は積もるかもしれない、なんて言う予報が出ていますから、そんなタイミングで上京しなくて済んで本当に良かったと心よりホッとしております。まあまたすぐに日曜月曜と東京に行って、機能できなかった仕事をやらなければならないのですが、明日の異様な寒波を逃れられるのならまあ良いか、という感じです。多分次は迷わずコートを用意して出かけられるでしょうし。
さて、ロイター通信によると、昭和17年(1942年)のスラバヤ沖海戦で撃沈されたオランダ海軍の艦艇3隻のうち、2隻の行方が判らなくなっており、オランダの首相がその海域を持つインドネシアに対して、「容認出来ない」と発言、インドネシアが事態解明に協力するよう期待するとの声明を発表しました。残る1隻も一部がなくなっているそうで、数千人の艦長以下の乗組員が眠る海の墓標が「荒らされた」事実は極めて申告な事態として、来週のオランダ政府貿易代表団がインドネシア訪問に際し、この問題も協議するとのことでした。
スラバヤ沖海戦というと、昭和17年2月27日から3月1日に行われた数度の海戦の総称で、東南アジアの資源を狙う上陸部隊を護衛する日本の連合艦隊と、その作戦を阻止せんとするイギリス、オランダなどの4カ国混成艦隊との長時間に渡り繰り広げられた戦いですが、遠距離での砲雷撃戦に終始してほとんど砲弾が命中せず、弾切れ寸前までなかなか決着がつかなかった戦いとしても知られています。結局、連携の訓練もしていなかった寄せ集めの4カ国艦隊が地力で勝る連合艦隊にゆっくりとすり潰されるようにしてやられ、オランダは、損傷したイギリス重巡の護衛で後退した駆逐艦1隻を除く軽巡洋艦2隻と駆逐艦1隻を喪失、乗組員のほとんどを道連れにこの海域に没しました。そのために、オランダではこの沈んだ艦艇を戦没者の墓とみなしているそうですが、さて、一体何故失われてしまったのか、それがよく判りませんでした。速い海流や、地震・台風などの影響で沈没地点からズレてしまったのか、朽ちるのが早くてボロボロに砕け散ってしまったのか、はたまた、何らかのお目当てで墓荒らし的に誰かが壊していってしまったのか、最初に読んだニュースだけでは不可解な点ばかりでした。そこでちょっとググってみましたら、どうやら鉄や銅などの金属を狙った違法なサルベージ業者による解体が原因らしい、という話が出てきて、オランダ首相の怒りの元が確認できました。しかし、戦後すぐに連合艦隊の艦艇が解体され、戦後の復興に役立てられたという話は聞いておりましたが、70年以上前に沈んだ軍艦の金属がまだお金に変わるのかとそれはそれで驚きの話でした。新たにググって見つけたニュースによると、同じ海戦で失われたイギリス海軍の軍艦も無くなってしまったそうで、イギリス政府もインドネシアに対して厳重に抗議したことが判りました。
多分盗まれた艦艇の建材はとっくに形を変えて元には決して戻せないのでしょうし、一緒にあったはずの遺骨や遺品も恐らくは廃棄されてしまったことでしょう。許しがたい蛮行と言わざるを得ませんが、万里の長城を虫食いのようにボロボロにしてしまったように、アジアの人々というのは基本文化財などには興味もなければ敬意を払うことも無いということなのでしょう。全く残念なことではあります。
さて、ロイター通信によると、昭和17年(1942年)のスラバヤ沖海戦で撃沈されたオランダ海軍の艦艇3隻のうち、2隻の行方が判らなくなっており、オランダの首相がその海域を持つインドネシアに対して、「容認出来ない」と発言、インドネシアが事態解明に協力するよう期待するとの声明を発表しました。残る1隻も一部がなくなっているそうで、数千人の艦長以下の乗組員が眠る海の墓標が「荒らされた」事実は極めて申告な事態として、来週のオランダ政府貿易代表団がインドネシア訪問に際し、この問題も協議するとのことでした。
スラバヤ沖海戦というと、昭和17年2月27日から3月1日に行われた数度の海戦の総称で、東南アジアの資源を狙う上陸部隊を護衛する日本の連合艦隊と、その作戦を阻止せんとするイギリス、オランダなどの4カ国混成艦隊との長時間に渡り繰り広げられた戦いですが、遠距離での砲雷撃戦に終始してほとんど砲弾が命中せず、弾切れ寸前までなかなか決着がつかなかった戦いとしても知られています。結局、連携の訓練もしていなかった寄せ集めの4カ国艦隊が地力で勝る連合艦隊にゆっくりとすり潰されるようにしてやられ、オランダは、損傷したイギリス重巡の護衛で後退した駆逐艦1隻を除く軽巡洋艦2隻と駆逐艦1隻を喪失、乗組員のほとんどを道連れにこの海域に没しました。そのために、オランダではこの沈んだ艦艇を戦没者の墓とみなしているそうですが、さて、一体何故失われてしまったのか、それがよく判りませんでした。速い海流や、地震・台風などの影響で沈没地点からズレてしまったのか、朽ちるのが早くてボロボロに砕け散ってしまったのか、はたまた、何らかのお目当てで墓荒らし的に誰かが壊していってしまったのか、最初に読んだニュースだけでは不可解な点ばかりでした。そこでちょっとググってみましたら、どうやら鉄や銅などの金属を狙った違法なサルベージ業者による解体が原因らしい、という話が出てきて、オランダ首相の怒りの元が確認できました。しかし、戦後すぐに連合艦隊の艦艇が解体され、戦後の復興に役立てられたという話は聞いておりましたが、70年以上前に沈んだ軍艦の金属がまだお金に変わるのかとそれはそれで驚きの話でした。新たにググって見つけたニュースによると、同じ海戦で失われたイギリス海軍の軍艦も無くなってしまったそうで、イギリス政府もインドネシアに対して厳重に抗議したことが判りました。
多分盗まれた艦艇の建材はとっくに形を変えて元には決して戻せないのでしょうし、一緒にあったはずの遺骨や遺品も恐らくは廃棄されてしまったことでしょう。許しがたい蛮行と言わざるを得ませんが、万里の長城を虫食いのようにボロボロにしてしまったように、アジアの人々というのは基本文化財などには興味もなければ敬意を払うことも無いということなのでしょう。全く残念なことではあります。
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