うちではローカルな情報を収集するためと、記事の読み比べの意味もあって、朝日、中日、伊勢と、新聞を三紙購読しています。もちろん政務調査費を使うことなく、うちの家計の中での購読です。念のため。
そのことはさておき、10月3日に自分のアンテナにかかる記事がありました。
ひとつは朝日新聞の「声」の欄に、もうひとつは中日新聞の「時のおもり」での鷲田清一 大谷大学教授のコラムです。それぞれ別の新聞ながら、偶然同じ日に掲載され、それが自分の中でつながったのです。特に、鷲田教授がコラムで投げかけられている論点は、私が鈴鹿市議会議員として、鈴鹿市のあり方を考えるとき非常に重要な視点だと思っています。
まず「声」での投稿ですが、仙台市の方の投稿で「震災時に店を開いていたことで、多くの人が利用した近所の青果店が、最近はお客さんが減ってしまった。」ことについて、「大規模店の再開が報じられる一方で、個人商店が取り残されているように感じる。」ことについて疑問を呈する内容です。
次に鷲田教授のコラムについてですが、鷲田教授は私が大学に行っていたころ一般教養の哲学を講義されていました。その当時から印象に残っている教授で、中日新聞でのコラムは楽しみにしている記事のひとつです。人と世の中のつながりについて、考えるヒントを時々頂いている感じでしょうか。
今回の内容では、関西のあるローカル番組で放送された番組で、福島から疎開している子どもと、福島に住んでいるその子の親友が、カメラに向かって発した「福島ごと、引っ越したい」という言葉から、コミュニティと人のつながりについて、小さな協働の積み重ねが必要ではないかと訴えられています。
鷲田教授のコラムから少し引用させて頂くと…
・【生き延びるためにどうしても共同でおこなうしかない作業、それを行政やサービス業者らの専門家集団にそっくり委託してきたのが、わたしたちの近代であった。】
・【「新しい公共」に目は向かいつつも、その地力はじり貧になっている。市民はサービスの顧客でしかなくなっている。】
この二つの文が「声」の投稿とつながっていると感じたのです。
投稿については一面的な見方の可能性もあるので、それがすべてとは考えません。
それを前提に、投稿から読み取って考える部分についてですが、お客さんたちは食料を手に入れるため、食料品を販売し提供するサービスを、その時の状況に応じてどこで得るかという選択しているだけで、それが自分たちの生活やコミュニティのあり方を考えることにつながっていないのではないかということです。
このことと鷲田教授のコラムで関連する表現は、【地域のコミュニティーがのっぴきならない仕方で崩れてきたのは、むしろ大都市や郊外のニュータウン、そしてシャッター街化した地方都市の方ではないか、と。】という部分です。
つまり、ここから先に引用した2つの文章ともつながると感じたのです。
地域社会はその地域に住む人たちが支え、そのための仕組みを決めるべき、「自治」の意識が重要と考えます。しかし、教授が言葉にされたように≪その地力はじり貧になっている。≫のではないでしょうか。
教授の言葉を引用させて頂くのですが【かつて地方が町方に対し「ぢかた」と呼ばれたころには、~ 中略 ~ 広い意味での「いのちの世話」はみなが協力して担った。そこでは子どももあてにされていた。】、この言葉から考えると現在は「いのちの世話」は行政が行うべき「サービス」と考える人が多く、それが地方都市のコミュニティの崩壊を加速させているのかもしれません。
行政の「サービス」向上に力を注ぐあまり、私たちは私たち自身で地域のコミュニティを弱らせてきたのではないでしょうか。
「~弱者」と言葉をつくり、行政に「サービス」を向上させるように求めてばかりになると、身近な生活圏としてのコミュニティはどんどん壊れるのではないでしょうか。そうなると、「サービス」に取り組むだけでも大きな金銭的な負担になり、結果、行き詰まるときがでてくる。しかも、それを先送りで解決と考えれば、次世代、子どもたちにツケを押しつけるということだと思います。
弱りきったコミュニティと、大きな負担が自分たちの知らないうちに、自分たちの解決しなければいけない課題にされている。このような状況で、次世代にがんばれというのは、現在の世代が無責任ということにならないでしょうか。
鷲田教授のいうように、小さな協働を積み重ねていくことが重要だと思います。「地力」、社会を支える力を私たちもつけるべき時期なのです。
そのような状況の中、議会は議員はどうあるべきなのか。
私は「持続可能な地域社会」という視点からそのまちの政策や財政をチェックし、それをもとに政策を提案する議員と議会であるべきと考えます。あらためて言うことではないと自分でも思うのですが、ともすれば「サービス」の向上にばかり目がいきがちな状況に、自戒の意味で書きました。
そのことはさておき、10月3日に自分のアンテナにかかる記事がありました。
ひとつは朝日新聞の「声」の欄に、もうひとつは中日新聞の「時のおもり」での鷲田清一 大谷大学教授のコラムです。それぞれ別の新聞ながら、偶然同じ日に掲載され、それが自分の中でつながったのです。特に、鷲田教授がコラムで投げかけられている論点は、私が鈴鹿市議会議員として、鈴鹿市のあり方を考えるとき非常に重要な視点だと思っています。
まず「声」での投稿ですが、仙台市の方の投稿で「震災時に店を開いていたことで、多くの人が利用した近所の青果店が、最近はお客さんが減ってしまった。」ことについて、「大規模店の再開が報じられる一方で、個人商店が取り残されているように感じる。」ことについて疑問を呈する内容です。
次に鷲田教授のコラムについてですが、鷲田教授は私が大学に行っていたころ一般教養の哲学を講義されていました。その当時から印象に残っている教授で、中日新聞でのコラムは楽しみにしている記事のひとつです。人と世の中のつながりについて、考えるヒントを時々頂いている感じでしょうか。
今回の内容では、関西のあるローカル番組で放送された番組で、福島から疎開している子どもと、福島に住んでいるその子の親友が、カメラに向かって発した「福島ごと、引っ越したい」という言葉から、コミュニティと人のつながりについて、小さな協働の積み重ねが必要ではないかと訴えられています。
鷲田教授のコラムから少し引用させて頂くと…
・【生き延びるためにどうしても共同でおこなうしかない作業、それを行政やサービス業者らの専門家集団にそっくり委託してきたのが、わたしたちの近代であった。】
・【「新しい公共」に目は向かいつつも、その地力はじり貧になっている。市民はサービスの顧客でしかなくなっている。】
この二つの文が「声」の投稿とつながっていると感じたのです。
投稿については一面的な見方の可能性もあるので、それがすべてとは考えません。
それを前提に、投稿から読み取って考える部分についてですが、お客さんたちは食料を手に入れるため、食料品を販売し提供するサービスを、その時の状況に応じてどこで得るかという選択しているだけで、それが自分たちの生活やコミュニティのあり方を考えることにつながっていないのではないかということです。
このことと鷲田教授のコラムで関連する表現は、【地域のコミュニティーがのっぴきならない仕方で崩れてきたのは、むしろ大都市や郊外のニュータウン、そしてシャッター街化した地方都市の方ではないか、と。】という部分です。
つまり、ここから先に引用した2つの文章ともつながると感じたのです。
地域社会はその地域に住む人たちが支え、そのための仕組みを決めるべき、「自治」の意識が重要と考えます。しかし、教授が言葉にされたように≪その地力はじり貧になっている。≫のではないでしょうか。
教授の言葉を引用させて頂くのですが【かつて地方が町方に対し「ぢかた」と呼ばれたころには、~ 中略 ~ 広い意味での「いのちの世話」はみなが協力して担った。そこでは子どももあてにされていた。】、この言葉から考えると現在は「いのちの世話」は行政が行うべき「サービス」と考える人が多く、それが地方都市のコミュニティの崩壊を加速させているのかもしれません。
行政の「サービス」向上に力を注ぐあまり、私たちは私たち自身で地域のコミュニティを弱らせてきたのではないでしょうか。
「~弱者」と言葉をつくり、行政に「サービス」を向上させるように求めてばかりになると、身近な生活圏としてのコミュニティはどんどん壊れるのではないでしょうか。そうなると、「サービス」に取り組むだけでも大きな金銭的な負担になり、結果、行き詰まるときがでてくる。しかも、それを先送りで解決と考えれば、次世代、子どもたちにツケを押しつけるということだと思います。
弱りきったコミュニティと、大きな負担が自分たちの知らないうちに、自分たちの解決しなければいけない課題にされている。このような状況で、次世代にがんばれというのは、現在の世代が無責任ということにならないでしょうか。
鷲田教授のいうように、小さな協働を積み重ねていくことが重要だと思います。「地力」、社会を支える力を私たちもつけるべき時期なのです。
そのような状況の中、議会は議員はどうあるべきなのか。
私は「持続可能な地域社会」という視点からそのまちの政策や財政をチェックし、それをもとに政策を提案する議員と議会であるべきと考えます。あらためて言うことではないと自分でも思うのですが、ともすれば「サービス」の向上にばかり目がいきがちな状況に、自戒の意味で書きました。