日田市街を後にして、ところどころ狭い県道を北上すると、
約20分で小鹿田焼([「おんたやき」と読みます)の集落に到着。
小鹿田焼は、小石原焼の流れを汲む窯元で、宝永2年(1705年)に開窯したと伝えられています。
飛び鉋や独特の刷毛模様といった幾何学的な意匠が特徴・・・・・。
その技法が国の重要無形文化財として指定され、
地区全体が「小鹿田焼の里」として重要文化的景観に選定される小鹿田焼。
これは、このあたり一帯で採れる陶土を、挽くというか、細かく砕く「唐臼」です。
まるで、怪獣が雄叫びをあげながら暴れているかのよう・・・・・。
小屋裏にまわってみると、・・・・・・・・
彫り込んだ幹に渓流の水を集めて、ししおどしのような仕掛けで杵が臼に打ち下ろされます。
周囲に響き渡る力強い杵音は、「日本の音風景100選」に選ばれているそうです。
挽いた陶土は濾過され、乾燥の過程を経て、ようやく陶器の原材料に・・・・・。
天日で乾燥中の陶土。きめ細かく、弾力があり、ねっとりとした感触。(触ってませんが・・・・・ (^-^)ゞ )
天日だけではなく、このように薪をくべた窯で熱乾燥されています。
小鹿田焼の登り窯。残念ながら、この日は使われていませんでした。
登り窯の傍で咲いていたむくげ。
残っている10軒の窯元全てが、開窯時から続く柳瀬家、黒木家、坂本家の子孫にあたり、
一子相伝で代々受け継がれてきたため、今も、開窯以来の技法がしっかりと守られています。
共同で土採りを行ない、作品に個人銘を入れることを慎むなど、
小鹿田焼の窯元全体として、品質やイメージを守ることに努めているとのこと。
「『作家』ではなく、『職人』であることに徹している」という言葉が印象的でした。
熊本の石橋めぐりからスタートした今回の旅、
阿蘇内牧温泉、日田市豆田町を経て、小鹿田焼の里で締めくくりです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
小鹿田焼からの帰り道、小野川に自然のプールがあり、大勢の家族で賑わっていました。
約20分で小鹿田焼([「おんたやき」と読みます)の集落に到着。
小鹿田焼は、小石原焼の流れを汲む窯元で、宝永2年(1705年)に開窯したと伝えられています。
飛び鉋や独特の刷毛模様といった幾何学的な意匠が特徴・・・・・。
その技法が国の重要無形文化財として指定され、
地区全体が「小鹿田焼の里」として重要文化的景観に選定される小鹿田焼。
これは、このあたり一帯で採れる陶土を、挽くというか、細かく砕く「唐臼」です。
まるで、怪獣が雄叫びをあげながら暴れているかのよう・・・・・。
小屋裏にまわってみると、・・・・・・・・
彫り込んだ幹に渓流の水を集めて、ししおどしのような仕掛けで杵が臼に打ち下ろされます。
周囲に響き渡る力強い杵音は、「日本の音風景100選」に選ばれているそうです。
挽いた陶土は濾過され、乾燥の過程を経て、ようやく陶器の原材料に・・・・・。
天日で乾燥中の陶土。きめ細かく、弾力があり、ねっとりとした感触。(触ってませんが・・・・・ (^-^)ゞ )
天日だけではなく、このように薪をくべた窯で熱乾燥されています。
小鹿田焼の登り窯。残念ながら、この日は使われていませんでした。
登り窯の傍で咲いていたむくげ。
残っている10軒の窯元全てが、開窯時から続く柳瀬家、黒木家、坂本家の子孫にあたり、
一子相伝で代々受け継がれてきたため、今も、開窯以来の技法がしっかりと守られています。
共同で土採りを行ない、作品に個人銘を入れることを慎むなど、
小鹿田焼の窯元全体として、品質やイメージを守ることに努めているとのこと。
「『作家』ではなく、『職人』であることに徹している」という言葉が印象的でした。
熊本の石橋めぐりからスタートした今回の旅、
阿蘇内牧温泉、日田市豆田町を経て、小鹿田焼の里で締めくくりです。
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小鹿田焼からの帰り道、小野川に自然のプールがあり、大勢の家族で賑わっていました。