母衣をもっとも伸ばした状態で疾走する馬。二頭の馬が母衣をなびかせてグラスアリーナを縦横無尽に疾走する様は典雅であると同時に力強さも感じます。この馬術が始まったのは江戸中期ということで、思ったほど古くはないのでした。
愛馬の日の催しで私がもっとも楽しみにしているのが母衣引。いかにも日本的、典雅な趣があります。背中に背負った母衣は初めは畳んでありますが、馬の歩みを早めるのに合わせて次第に広げ伸ばしてゆきます。母衣の色は緑白は春を、紅白は秋を表わしているのだそうです。
ポニー競馬は中学1年生までが出場できるという子どもたちの競馬で、写真は選手紹介の場に向かうところ。ポニーたちの表情からは早くも闘争心が現れています。ポニーとはいえスピードも速いし、ドドドドという足音も迫力があって、レースは2回ありましたが、もう少し見たかったところです。
今日は馬事公苑で年に2回行われる大きな行事のひとつ、「愛馬の日」が開催されましたので、出かけてきました。
パレードの後、最初の演目が流鏑馬。説明によると馬の走るスピードのコントロールがひとつのキーポイントとのことでした。今回はAFのレンズを使い、AFで撮ってみましたが、ピントが合っていないものが多くて信頼性はいまひとつで、思ったように撮れず。
パレードの後、最初の演目が流鏑馬。説明によると馬の走るスピードのコントロールがひとつのキーポイントとのことでした。今回はAFのレンズを使い、AFで撮ってみましたが、ピントが合っていないものが多くて信頼性はいまひとつで、思ったように撮れず。
明治公園近くではちびっ子たちの自転車の乗り方教室をやっていて幼稚園児くらいのちびっ子がたくさん走っていました。大人も子どもも滅茶苦茶な乗り方をしていますから、子どもの内に教わっておくのはとてもよいことだと思います。
脱原発の集会は主催者発表によると6万人集まったとのことで、報道各社もずいぶん力を入れて取材に来ていましたが、外国人記者の取材も目立ち世界的な関心の高さがうかがえます。渋谷までのデモにも加わり久しぶりに青山通りなどを歩きましたが、本来ならば10万人、20万人が集まってしかるべきところと思います。
脱原発の集会は主催者発表によると6万人集まったとのことで、報道各社もずいぶん力を入れて取材に来ていましたが、外国人記者の取材も目立ち世界的な関心の高さがうかがえます。渋谷までのデモにも加わり久しぶりに青山通りなどを歩きましたが、本来ならば10万人、20万人が集まってしかるべきところと思います。
昨日は大江健三郎さんたちが呼びかけた脱原発を訴える集会があり、それに参加するために六本木から明治公園に向かいましたが、その途中乃木坂駅近くに乃木公園がありました。写真は公園の一画に建つ厩舎で乃木大将が飼っていた馬がここにいたのですね。旧乃木邸も残っていて、今度フジのギャラリーに行った際にはゆっくり訪ねてみたいと思いました。
昨日は六本木のフジフイルムスクエアに三好和義さんの写真展を見に行ってきました。「帝のまなざし」というタイトルで、京都の御所や離宮を撮ったもの。大型のプリントでプリントの質も高く、華麗な御所の景観が撮られていました。ちょうど三好さんが会場にいて解説をされているところでした。もう一つ行われていた写真展は、ユーサフ・カーシュの肖像写真の展示で、チャーチルやカザルス、シベリウスなどの著名人15人のあまりにも有名な作品群。写真家のサインが入っていたのでオリジナルプリントだと思いますが、モノクロの階調が美しい見事なプリントでした。
「帝のまなざし」は今月21日まで、カーシュは10月31日までの展示。ところで1年ぶりくらいに訪れたこのギャラリーですが、2階のスペースは事務室になってしまっていて、ギャラリースペースは大幅に縮小されていました。これも不況の影響でしょうか。
「帝のまなざし」は今月21日まで、カーシュは10月31日までの展示。ところで1年ぶりくらいに訪れたこのギャラリーですが、2階のスペースは事務室になってしまっていて、ギャラリースペースは大幅に縮小されていました。これも不況の影響でしょうか。
最後の弓取りもしっかり見てから席を立ちました。たまに弓を落としてしまうこともありますが、もちろん落とすことはありませんでした。この日の入りはよくなくて最後まで半分ほどは空席のままでした。様々なことが続いて、人気は盛り上がっていないようです。
ところで、この頃は電車で出かけるときは小型の懐中電灯を持って出るようになりました。大震災以来、非常時のことを思い浮かべることが増え、電車が地下を走行中に停電になったら、と思うととにかく灯りがなくてはと考えた次第。
ところで、この頃は電車で出かけるときは小型の懐中電灯を持って出るようになりました。大震災以来、非常時のことを思い浮かべることが増え、電車が地下を走行中に停電になったら、と思うととにかく灯りがなくてはと考えた次第。