近代美術館の目の前は皇居のお堀。大きな石組みの見事さに惹かれて撮りました。
美術館では、横山大観の「生々流転」を特別展示していたので、それを見た他、一般展示も急ぎ足ではありましたが見てきました。「生々流転」は重文に指定されているのですが、大観の絵は私には少し大味なところがあるように感じられて、この作品でもやはりその部分が気になりました。それにやたらに松が繰り返し描かれているのも類型的のように感じられます。
一般展示では私の好きなクレーの絵が3点も並んで展示されていたのは幸運でした。しかもそれぞれ時期が違うものだったのもよかった。他に鏑木清方の重文に指定されている作品もよかったですね。
ところで小林古径の「加賀鳶」は、今回でもう3,4回は見ていると思いますが、制作年を見ると1909年とありましたから描かれてからちょうど100年ということになり、これには思わずおやっという思いをしました。しかし、古径は1883年生まれですから、若いときの作品はすでに100年経っていて当然なのですね。ただ、私がこの絵を最初に見たのは恐らく30年以上前ですから、その時は描かれてから70年くらいだったし、1957年に亡くなった古径が亡くなってまだ20年くらい。おやっと思ったのはこのギャップがあったからのようですが、自分が年齢を重ねるということはこういう思いをすることなのだなと思った次第。明治も大正もどんどん遠くなる。そんな思いです。
美術館では、横山大観の「生々流転」を特別展示していたので、それを見た他、一般展示も急ぎ足ではありましたが見てきました。「生々流転」は重文に指定されているのですが、大観の絵は私には少し大味なところがあるように感じられて、この作品でもやはりその部分が気になりました。それにやたらに松が繰り返し描かれているのも類型的のように感じられます。
一般展示では私の好きなクレーの絵が3点も並んで展示されていたのは幸運でした。しかもそれぞれ時期が違うものだったのもよかった。他に鏑木清方の重文に指定されている作品もよかったですね。
ところで小林古径の「加賀鳶」は、今回でもう3,4回は見ていると思いますが、制作年を見ると1909年とありましたから描かれてからちょうど100年ということになり、これには思わずおやっという思いをしました。しかし、古径は1883年生まれですから、若いときの作品はすでに100年経っていて当然なのですね。ただ、私がこの絵を最初に見たのは恐らく30年以上前ですから、その時は描かれてから70年くらいだったし、1957年に亡くなった古径が亡くなってまだ20年くらい。おやっと思ったのはこのギャップがあったからのようですが、自分が年齢を重ねるということはこういう思いをすることなのだなと思った次第。明治も大正もどんどん遠くなる。そんな思いです。