東京藝術大学大学美術館で開催中のシャガール展は、この画家の生涯をたどる好企画だ。
あらためていうまでもないだろうが、シャガールの人生は20世紀の芸術家の例にもれず両大戦とりわけ第二次世界大戦に揺さぶられた。しかもユダヤ人という出自がそこに加わった。さらに帝政ロシアに生まれたために、ロシア革命も経験した。晩年は功なり名遂げることができたが、それまでの人生はけっして平坦ではなかった。そういう感慨にひたることのできる展覧会だ。
第1室に展示されている「死者」(1908年)はまだサンクトペテルブルクにいたころの作品。素朴な作品だが、すでに屋根の上のヴァイオリン弾きが描かれていることが目を引く。ユダヤ人としての出自はその出発点から常につきまとっていたのだ。
第2室には本展の目玉の一つ「ロシアとロバとその他のものに」(1911年)があった。チラシ↑にも使われている作品だが、実物の迫力は並外れている。黒光りする漆黒の夜空。そこに赤い雌牛をはじめ、緑や青や黄色の形象が点在している。シャガールがパリに出て最先端の芸術にふれた興奮が伝わってくる作品だ。蛇足ながら、乳搾りの女についている多数の円はなんだろうと思った。
第3室にはロシアに戻ってベラと結婚し、その直後にロシア革命に遭遇したころの作品があった。シャガール流に消化されたキュビスム的な作品。私はとりわけ「墓地」(1917年)が面白かった。緊密に構成された画面が今にもリズミカルに動き始めるようだった。
第4室(順番としては5室目)には馴染み深いシャガールの作風が並んでいた。もっともそこにはいくつかの変遷があった。私はナチスドイツの迫害をさけてニューヨークに避難し、そこで愛妻ベラが急死したころの作品にひかれた。純白の花嫁姿のベラ、故郷ヴィテブスクの家並みや動物たち、その他さまざまな形象が隅々にまで描き込まれている。私はなかでも「赤い馬」(1938‐1944年)の暗さに痛切な思いを感じた。
戦後フランスに戻り、二度目の結婚をしたころの「日曜日」(1952‐1954年)はチラシに使われているもう一枚の作品。すっかり屈託がなくなっている。私には物足りなかった。
晩年の「イカルスの墜落」(1974‐1977年)には不思議な透明感があった。
シャガールは1985年まで生きた。享年97歳。南フランスに住み、亡くなるその日まで絵筆をふるっていたそうだ。幸せな亡くなりかただ。時代と出自の双方で苦労の多い人生を送ったが、戦後その苦労が償われたと思う。
(2010.8.5.東京藝術大学大学美術館)
あらためていうまでもないだろうが、シャガールの人生は20世紀の芸術家の例にもれず両大戦とりわけ第二次世界大戦に揺さぶられた。しかもユダヤ人という出自がそこに加わった。さらに帝政ロシアに生まれたために、ロシア革命も経験した。晩年は功なり名遂げることができたが、それまでの人生はけっして平坦ではなかった。そういう感慨にひたることのできる展覧会だ。
第1室に展示されている「死者」(1908年)はまだサンクトペテルブルクにいたころの作品。素朴な作品だが、すでに屋根の上のヴァイオリン弾きが描かれていることが目を引く。ユダヤ人としての出自はその出発点から常につきまとっていたのだ。
第2室には本展の目玉の一つ「ロシアとロバとその他のものに」(1911年)があった。チラシ↑にも使われている作品だが、実物の迫力は並外れている。黒光りする漆黒の夜空。そこに赤い雌牛をはじめ、緑や青や黄色の形象が点在している。シャガールがパリに出て最先端の芸術にふれた興奮が伝わってくる作品だ。蛇足ながら、乳搾りの女についている多数の円はなんだろうと思った。
第3室にはロシアに戻ってベラと結婚し、その直後にロシア革命に遭遇したころの作品があった。シャガール流に消化されたキュビスム的な作品。私はとりわけ「墓地」(1917年)が面白かった。緊密に構成された画面が今にもリズミカルに動き始めるようだった。
第4室(順番としては5室目)には馴染み深いシャガールの作風が並んでいた。もっともそこにはいくつかの変遷があった。私はナチスドイツの迫害をさけてニューヨークに避難し、そこで愛妻ベラが急死したころの作品にひかれた。純白の花嫁姿のベラ、故郷ヴィテブスクの家並みや動物たち、その他さまざまな形象が隅々にまで描き込まれている。私はなかでも「赤い馬」(1938‐1944年)の暗さに痛切な思いを感じた。
戦後フランスに戻り、二度目の結婚をしたころの「日曜日」(1952‐1954年)はチラシに使われているもう一枚の作品。すっかり屈託がなくなっている。私には物足りなかった。
晩年の「イカルスの墜落」(1974‐1977年)には不思議な透明感があった。
シャガールは1985年まで生きた。享年97歳。南フランスに住み、亡くなるその日まで絵筆をふるっていたそうだ。幸せな亡くなりかただ。時代と出自の双方で苦労の多い人生を送ったが、戦後その苦労が償われたと思う。
(2010.8.5.東京藝術大学大学美術館)