Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

バイロイト音楽祭:ヴァルキューレ

2010年08月31日 | 音楽
 翌日は「ヴァルキューレ」。この公演は日本にも衛星中継されたので、深夜ではあったが、ご覧になったかたもいるだろう。地元の人々のためには特設会場の大スクリーンで中継された。

 冒頭からティーレマンの気合の入り方がちがっていた。嵐を描写したオーケストラの序奏が、ものすごい勢いで、荒れ狂う波のように演奏された。音の起伏がこれほど明確に一糸乱れず演奏されるのには驚くばかりだった。

 序奏が終わる直前に幕があくと、舞台は荒れ果てた廃屋。現代人の何人かの男女が雨宿りをしている。小降りになったので外に出ていく。最後に残った少年が、気になる様子で、椅子にかかった布をそっと持ち上げる。そこには一人の女性(実はジークリンデ)がいるので、ぎょっとして逃げる。入れ替わりにジークムントが倒れ込むように入ってくる。ここからドラマが始まる。見事な導入だ。

 ジークムント役はヨハン・ボータ。さすがに素晴らしい歌唱だ。ジークリンデ役はエディト・ハラー。今のバイロイトの寵児のようだ。ティーレマンの指揮は抒情的な美しさを湛えていた。これらの三者が相俟って、「冬の嵐は過ぎ去り」の二重唱はうっとりするほど甘美だった。

 第2幕は、ヴォータンとフリッカ、ヴォータンとブリュンヒルデの各場面が雲の渦巻く岩山の頂で進行した。普通は長く感じるヴォータンとフリッカの対話が、あっという間に終わったのが印象的だった。フリッカ役の藤村実穂子さんの歌唱と発音の正確さのゆえだ。力で押し切るフリッカではなく、理路整然と語るフリッカだった。一方、ブリュンヒルデ役のリンダ・ワトソンは、声はよく出るが、初々しさに欠けた。

 ジークムントとジークリンデが出てくると、舞台はなんの変哲もない道端に変わる。奥には現代人の一組のカップルがいる。ジークムントとジークリンデの危機にはまったく気がつかない様子だ。やがて女性が立ち去ると、男性は新聞を読み始める。路傍の石(前場の岩山の頂)がときどき照明によってヴォータンの顔に変わる。
 ジークムントとジークリンデは切迫感あふれる歌唱だが、ブリュンヒルデは、声はともかく、感度が鈍いのが気になった。

 第3幕は巨大な石切り場。英雄たちの死体が転がっている。現代人の女性が出てきて、死体に気づき、あわてて逃げ出す。ここから神々のドラマが展開する。
 ブリュンヒルデは相変わらずだが、「ヴォータンの告別」にいたって、ヴォータン役のアルベルト・ドーメンが、たんに愛娘との別れを惜しむだけではなく、自らがもう世界にたいして無力であることを悟った諦念が漂う名唱をきかせた。
 ここから幕切れまで、オーケストラは大河のように滔々と流れる演奏を続けた。これこそティーレマンの真骨頂だ。
(2010.8.21.バイロイト祝祭劇場)
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