Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

キャンディード

2010年08月09日 | 音楽
 佐渡裕さんのプロデュース・オペラ「キャンディード」をみた。バーンスタインが「ウェストサイド・ストーリー」と相前後して作曲した意欲作だ。初演は1956年。アメリカが黄金の50年代を謳歌していた時期だが、同時にマッカーシズムの赤狩りが猛威をふるっていた時期でもある。リベラルな政治的立場だったバーンスタインは社会の明暗に敏感に反応した。それが「キャンディード」だ。

 演出はロバート・カーセン。もともとは2006年に初演50周年を記念してパリのシャトレ劇場のために制作されたプロダクションだそうだ。その後ミラノのスカラ座、ロンドンのENOを回り、今回の日本公演にいたった由。

 さすがに世界中を回っているプロダクションだけあってたいへん優れていた。まずなんといっても、快適なテンポ感がバーンスタインの音楽とマッチしている。カラフルな舞台美術も同様だ。原作者ヴォルテールを進行役として登場させるアイディアも成功している。そのヴォルテール役の役者(歌手)が楽観主義者パングロスと悲観主義者マーティンを兼ねるアイディアにも感心した。

 そういう土台にたって、当時のアメリカ社会の明暗が鮮明に描かれている。これこそバーンスタインが才能ある協力者たちとともに舞台化を目指したテーマだろう。そして驚くべきことには、今もなおヴィヴィッドな問題であり続けているのだ。

 フィナーレの合唱「僕らの畑を耕そう」をきいていて私は感動した。楽観主義も悲観主義も乗り越えて、自分にできることから始めようというメッセージ。それはいかにもバーンスタインらしいヒューマニズムだ。今回の演出では地球の砂漠化や温暖化、あるいは難民たちの映像が投影されていた。これらは現代の問題だ。私は正直にいうと、バーンスタインのメッセージにもかかわらず世界はなにも変わっていない、むしろ悪くなる一方だと思ってしまった。今は、これを乗り越えないといけないと自分に言いきかせている。

 恋人クネゴンデがキャンディードからお金を騙し取ろうとしたとき、キャンディードが怒って、きみの愛はこんなものだったのか、そんなにお金がほしいなら、くれてやる(大意)と言う場面がある。悲しい現実だ。キャンディードはそれを乗り越えてクネゴンデを愛そうとし、フィナーレにいたる。

 初演当時はブロードウェイ・ミュージカルとして上演され、今もミュージカル上演がおこなわれているが、今回私にはオッフェンバックの風刺のきいたオペレッタのようにも感じられた。両者のボーダーに位置するこの作品は、50年代の前衛の時代には不利だったろうが、なんでもありの今の時代にはかえって興味深くみえた。
(2010.8.6.オーチャードホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする