読響の5月定期。予定されていたズデニェク・マーツァルが来日しなくなり、ペトル・ヴロンスキーが代演した。プロフィールによると、ヴロンスキーは1946年生まれ。ビエロフラーヴェクと同年齢だ。ビエロフラーヴェクは若いころからチェコ期待の星として日本での知名度が高かった。ビロード革命の直後にチェコ・フィルのシェフに就任したが、どういう事情があったのか、短命に終わった。2012年のシーズンから復帰するそうで喜ばしい。
一方、ヴロンスキーは、チェコ第2の都市ブルノなどの国内の活動を中心としていたようだ。だから、というわけでもないだろうが、同年齢でありながら、ビエロフラーヴェクとはそうとう個性がちがう。一言でいって、ビエロフラーヴェクは、巨匠となった今でも、清新な抒情をただよわせて、ストレートな演奏をするが、ヴロンスキーは重量級の演奏をする。なるほど、こういう指揮者が、インターナショナルな面ではない、(よい意味で)ローカルな面のチェコの音楽界を支えているのかと思った。
プログラム1曲目は、モーツァルトのピアノ協奏曲第24番。先ほど「重量級」といったが、この曲では柔らかく、けっして大声にならないオーケストラが快かった。第1楽章の再現部の入りで小さな事故があったが、あれはどういうわけか。もちろんすぐに立ち直ったが。第1楽章では他にも木管のミスが散見された。第2楽章からは安定した。
ピアノ独奏は清水和音さん。昔は、豪快に、ばりばり弾くイメージが(少なくともわたしには)あったが、そのイメージを一新する繊細な演奏だった。オーケストラともども、温かい音で、滑らかに進行する演奏。楽々と息づいたモ―ツァルトだった。
2曲目はマーラーの交響曲第5番。近年は国内、国外いずれのオーケストラも、この曲を演奏することが多く、いささか演奏され過ぎの観もあるが、今回の演奏はそういう日常的なレベルをこえたもの、いわば、本気になった演奏だった。だからというべきか、この曲がどれほど凄い曲なのかを、あらためて教えられた気がする。こういう演奏で聴いていると、この曲はそんなに頻繁に演奏すべき曲ではない、なにか特別の機会に演奏すべきだと思った。
ヴロンスキーは冒頭のソロ・トランペットのファンファーレから、容赦なく最強奏で吹かせていた。ミスもあったけれども、それは二の次。凄まじい音が鳴り渡った。これは第3楽章のソロ・ホルンも同じ。太い音がホールに響いた。しかも安定感があった。奏者はだれだったのだろう。ステージの山台の最後方で立奏するその姿は、実に頼もしかった。
(2011.5.23.サントリーホール)
一方、ヴロンスキーは、チェコ第2の都市ブルノなどの国内の活動を中心としていたようだ。だから、というわけでもないだろうが、同年齢でありながら、ビエロフラーヴェクとはそうとう個性がちがう。一言でいって、ビエロフラーヴェクは、巨匠となった今でも、清新な抒情をただよわせて、ストレートな演奏をするが、ヴロンスキーは重量級の演奏をする。なるほど、こういう指揮者が、インターナショナルな面ではない、(よい意味で)ローカルな面のチェコの音楽界を支えているのかと思った。
プログラム1曲目は、モーツァルトのピアノ協奏曲第24番。先ほど「重量級」といったが、この曲では柔らかく、けっして大声にならないオーケストラが快かった。第1楽章の再現部の入りで小さな事故があったが、あれはどういうわけか。もちろんすぐに立ち直ったが。第1楽章では他にも木管のミスが散見された。第2楽章からは安定した。
ピアノ独奏は清水和音さん。昔は、豪快に、ばりばり弾くイメージが(少なくともわたしには)あったが、そのイメージを一新する繊細な演奏だった。オーケストラともども、温かい音で、滑らかに進行する演奏。楽々と息づいたモ―ツァルトだった。
2曲目はマーラーの交響曲第5番。近年は国内、国外いずれのオーケストラも、この曲を演奏することが多く、いささか演奏され過ぎの観もあるが、今回の演奏はそういう日常的なレベルをこえたもの、いわば、本気になった演奏だった。だからというべきか、この曲がどれほど凄い曲なのかを、あらためて教えられた気がする。こういう演奏で聴いていると、この曲はそんなに頻繁に演奏すべき曲ではない、なにか特別の機会に演奏すべきだと思った。
ヴロンスキーは冒頭のソロ・トランペットのファンファーレから、容赦なく最強奏で吹かせていた。ミスもあったけれども、それは二の次。凄まじい音が鳴り渡った。これは第3楽章のソロ・ホルンも同じ。太い音がホールに響いた。しかも安定感があった。奏者はだれだったのだろう。ステージの山台の最後方で立奏するその姿は、実に頼もしかった。
(2011.5.23.サントリーホール)