Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

カンブルラン/読響

2012年10月29日 | 音楽
 読響の創立50周年記念プログラムを聴いた。ハンス・ツェンダーの委嘱作品「般若心經」と細川俊夫の「ヒロシマ・声なき声」。今このタイミングでカンブルランが常任指揮者でなければ実現しなかったプログラムだ。当然お客さんの入りは悪い。それは読響も承知のうえでの企画だったろう。

 このプログラムについて、カンブルランはこう語っている。「何かを記念するとき、過去を振返るのに興味はありません。読響の50年を記念する演奏会でも、現在に向けての何かをしたかったのです。」(音楽ジャーナリスト渡辺和氏のレポートより)。

 ひじょうに共感する言葉だ。意気に感じて演奏会に出かけた。

 ツェンダーの新作はあの「般若心經」をテクストに用いている。「般若心經」はヨーロッパでもよく知られているそうだ。ツェンダー自身3種類のドイツ語訳をもっているが、ほかにもまだ出ていると語っていた。その「般若心經」をバリトン(大久保光哉)が歌う。その旋律線はわたしたちが知っている読経のそれではなく、現代的な激しい抑揚だ。端的にいって、現代オペラの一場面を切り取ったように感じられた。

 演奏はすばらしかった。微分音が縦横に使われ、音程が飛躍し、リズムが激しく交錯するこの曲を、おそらく完璧にコントロールしていたのではないだろうか。

 細川俊夫の「ヒロシマ・声なき声」は、客席に2群のバンダ(それぞれホルン、トランペット、トロンボーン、パーカッション各1名)を配している。なるほど、その効果は実演でないとわからないものだ、と思った。ステージ上のオーケストラを敷衍し、増幅し、揺らす。最新作のホルン協奏曲「開花の時」でも使われていた手法だが、この曲のほうが色彩豊かに感じられた。

 これもすばらしい演奏だった。音の完璧なコントロールという点では、究極のところまで行っていた。読響の演奏力もさることながら、カンブルランの能力は世界でも超一流だ。そのカンブルランが脂ののりきった充実のときを迎えていると感じられた。

 ただ「原爆の子」(岩波書店)から取られたテクストを読みあげる第2楽章のPAの音響は、あれでよかったのだろうか。オーケストラとのバランスが崩れているように感じられたが――。

 作品そのものにも、第3楽章以下の音楽には疑問を感じた。もっともそれはまだわたしの中では種子のようなものなので、もう少し抱えていたい。
(2012.10.27.サントリーホール)
コメント (1)
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