Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

リチャード三世

2012年10月05日 | 演劇
 新国立劇場の「リチャード三世」が始まった。2009年の「ヘンリー六世」3部作を観た人は、岡本健一のリチャード(後のリチャード三世)の「怪演」に強く印象付けられたはずだ。そして、わたしもそうだが、岡本健一の「リチャード三世」を観たいと思ったにちがいない。それがこのたび実現した。

 まず「懐かしい」と思った。岡本健一だけでなく、「ヘンリー六世」のときのキャストの多くが再結集しているので、2009年のときの記憶が蘇ってきた。あれはすごかった。今でも忘れられない。

 今回その岡本健一のリチャード三世は、2009年のときのようなテンションの高さが感じられなかった。むしろ一種の軽さが感じられた。おそらくリチャード三世にコミカルな面を見出しているのだろう。極悪非道、残虐なリチャード三世を期待していたので、少々拍子抜けだった。

 だから、といっていいかもしれないが、戦いの前夜に悪夢にうなされ、一人目覚めて独白する場面が、孤独で、弱々しく、しんみりした味があった。

 2009年の岡本健一の「怪演」に代わるものが、中嶋朋子のマーガレットだった。惨殺されたヘンリー六世の未亡人マーガレットは、老婆となり、だれかれかまわず呪詛の言葉を投げつける。変わり果てたその姿が、切れ味鋭く表現されていた。

 2009年にはヘンリー六世を演じて、どこか中性的な魅力をふりまいた浦井健治は、リチャード三世を討つリッチモンド伯ヘンリー(後のヘンリー七世)で再登場。兵士(=客席)にむかって檄を飛ばすその凛々しさには、正直いって、ぞくぞくした。

 今回一番印象付けられたことは、凝った舞台美術だ。2009年と同様、島次郎が担当した舞台美術は、2枚のビニールの透明なカーテンを使って、美しい舞台を作っていた。中央には回り舞台があり、その上の天井には鏡が取り付けられて、これが回り舞台の役者を上から映し、奥の壁に投影していた。

 それにしてもこの作品、最後の正義(=リッチモンド)の勝利、悪(=リチャード三世)の敗北を、どう受け止めたらいいのだろう。もちろん一片の疑いもない勧善懲悪だが、少々漫画的だ。演出の鵜山仁によると、「エリザベス朝の正当性を言祝ぐ、チューダー神話のプロパガンダ」という説があるそうだ。そうだとしても、それを今上演する意味合いをどこに見出したらいいのだろう。
(2012.10.3.新国立劇場中劇場)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする