インバルの都響プリンシパル・コンダクターとしての最後の定期、マーラーの交響曲第9番。
第1楽章からして激しい表現意欲に突き動かされた演奏。凄まじい、といいたいくらいだ。いったいなにが起きているのか、なにがインバルを駆り立てているのか、表現にたいするその衝動はどこからくるのか――それがつかめないまま推移した観がある。
第2楽章もその延長。そして第3楽章になってますます実体が露わになった。まさにそこで起きているそのものが、インバルのやりたいことであり、嘘偽りのないインバルの「今」なのだと納得した。オーケストラは咆哮し――もう少しで「絶叫」といいたい気持ちになったが、そうはいわせない一歩手前のところで、オーケストラは踏ん張っていた――、それがどこからくるかは不明だが、狂乱のかぎりを尽くした演奏だった。
だからこそ、その狂乱が不意に静まり、トランペットに回音の音型(ターン音型)が現れる箇所にハッとさせられた。それは文字通り「不意」だった。狂乱に巻き込まれて先の予想などできなかった。
そして第4楽章。驚くべき分厚い音。弦は弓をこすりつけ、木管も金管もこれをかぎりと鳴らす。トータルとしての音は、かつて日本のオーケストラからは聴いたことがないような大音量だ。ものすごいテンションの高さ。第1楽章から第3楽章までは、第4楽章にむけてテンションを高める過程であり、そう考えれば理解できると思った。
もちろん最後は音が薄くなり、消え入るように終わる。でも、なぜか、惜別の情とか諦念とかは感じなかった。この曲でイメージする「別れ」=「死」は感じなかった。そういう壮大なものではなく、もっと物理的な音響のコントロールを感じた。
会場からは盛大な拍手が沸き起こった。楽員が引き上げた後も、インバルは何度も呼び戻された。だが、わたしの心には、隙間が生じていた。ほんとうの意味でインバルの演奏と一体化するのを妨げるなにか亀裂があった。
その亀裂はじつは前から感じていた。インバルがプリンシパル・コンダクターに就任する前後の頃は、柔軟性と色彩感に驚嘆したが、いつからか演奏が強面になり、同時にファンタジーが消失した。激しい表現意欲はそのままに、その意欲がむき出しに――即物的に――表れるようになった。そういう状態でインバルは任期を終えた。今わたしには消化不良のようなものが残っている。
(2014.3.17.サントリーホール)
第1楽章からして激しい表現意欲に突き動かされた演奏。凄まじい、といいたいくらいだ。いったいなにが起きているのか、なにがインバルを駆り立てているのか、表現にたいするその衝動はどこからくるのか――それがつかめないまま推移した観がある。
第2楽章もその延長。そして第3楽章になってますます実体が露わになった。まさにそこで起きているそのものが、インバルのやりたいことであり、嘘偽りのないインバルの「今」なのだと納得した。オーケストラは咆哮し――もう少しで「絶叫」といいたい気持ちになったが、そうはいわせない一歩手前のところで、オーケストラは踏ん張っていた――、それがどこからくるかは不明だが、狂乱のかぎりを尽くした演奏だった。
だからこそ、その狂乱が不意に静まり、トランペットに回音の音型(ターン音型)が現れる箇所にハッとさせられた。それは文字通り「不意」だった。狂乱に巻き込まれて先の予想などできなかった。
そして第4楽章。驚くべき分厚い音。弦は弓をこすりつけ、木管も金管もこれをかぎりと鳴らす。トータルとしての音は、かつて日本のオーケストラからは聴いたことがないような大音量だ。ものすごいテンションの高さ。第1楽章から第3楽章までは、第4楽章にむけてテンションを高める過程であり、そう考えれば理解できると思った。
もちろん最後は音が薄くなり、消え入るように終わる。でも、なぜか、惜別の情とか諦念とかは感じなかった。この曲でイメージする「別れ」=「死」は感じなかった。そういう壮大なものではなく、もっと物理的な音響のコントロールを感じた。
会場からは盛大な拍手が沸き起こった。楽員が引き上げた後も、インバルは何度も呼び戻された。だが、わたしの心には、隙間が生じていた。ほんとうの意味でインバルの演奏と一体化するのを妨げるなにか亀裂があった。
その亀裂はじつは前から感じていた。インバルがプリンシパル・コンダクターに就任する前後の頃は、柔軟性と色彩感に驚嘆したが、いつからか演奏が強面になり、同時にファンタジーが消失した。激しい表現意欲はそのままに、その意欲がむき出しに――即物的に――表れるようになった。そういう状態でインバルは任期を終えた。今わたしには消化不良のようなものが残っている。
(2014.3.17.サントリーホール)