今回の旅ではガルミッシュ・パルテンキルヒェンに4泊した。ミュンヘンから電車で約1時間半。リヒャルト・シュトラウスが住んだアルプス山麓の町だ。
着いた日は雨だった。土地勘をつかむために、地図を片手に歩いてみた。まず向かったのはリヒャルト・シュトラウス・インスティテュート。シュトラウスの上着や旅行鞄が展示されていた。
だれかの邸宅らしい。でも、シュトラウスの邸宅ではないのではないか。町はガルミッシュ側とパルテンキルヒェン側に分かれる。ここはパルテンキルヒェン側だ。シュトラウスの邸宅はガルミッシュ側にあるのではなかったか。
そう思って事務室の人に尋ねたら、やはりシュトラウスの邸宅ではなかった。シュトラウスの邸宅は別の場所にあった。親切にも地図を出して教えてくれた。ツェプリッツ通りZoeppritzstrasse42番地。ガルミッシュ側にあった。
翌日、山歩きの帰りに行ってみた。繁華街を抜けた閑静な住宅街にあった。このへんかなと思っていると、向こうから老夫婦がゆっくり歩いてきた。ご主人がシュトラウスによく似ていた。そう思った自分が可笑しかった。
シュトラウスの邸宅はすぐに見つかった。広大な敷地だ。白と緑に塗られた美しい邸宅だった。表札にはConstantin Straussと書いてある。個人の邸宅だ。門は開いていた。でも、中に入るのは憚られた。携帯で写真を1枚撮った。それが上↑の写真だ。
目の前にドイツの最高峰ツークシュピッツェが聳えたっていた。だからシュトラウスはこの場所を選んだのだろう。シュトラウスは毎日この山を見ていた。作曲で疲れたときも、ナチスとの軋轢で悩んだときも――。
山を見ながらホテルに戻る途次、頭の中では「4つの最後の歌」から「眠りにつくとき」の伸びやかな旋律と、「夕映えの中で」の微妙なハーモニーの移ろいが鳴っていた。なんて高級な音楽だろうと思った。なぜか「アルプス交響曲」は浮かんでこなかった。
わたしの愛読書の一つに「栄光のウィーン・フィル」(※)がある。ウィーン・フィルの元楽団長オットー・シュトラッサーが書いた回想録だ。その中にウィーン・フィルのメンバーがシュトラウス邸を訪れる場面がある。1941年4月28日のことだ。本書の中でもっとも美しい頁。昔からその頁を繰り返し読んだ。今その場所に立つことができた。なるほど、こういう場所だったのか――。
(※)「栄光のウィーン・フィル」
http://www.amazon.co.jp/%E6%A0%84%E5%85%89%E3%81%AE%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E2%80%95%E5%89%8D%E6%A5%BD%E5%9B%A3%E9%95%B7%E3%81%8C%E7%B6%B4%E3%82%8B%E5%8D%8A%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC-%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC/dp/4276217806/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1407119850&sr=1-1&keywords=%E6%A0%84%E5%85%89%E3%81%AE%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB
着いた日は雨だった。土地勘をつかむために、地図を片手に歩いてみた。まず向かったのはリヒャルト・シュトラウス・インスティテュート。シュトラウスの上着や旅行鞄が展示されていた。
だれかの邸宅らしい。でも、シュトラウスの邸宅ではないのではないか。町はガルミッシュ側とパルテンキルヒェン側に分かれる。ここはパルテンキルヒェン側だ。シュトラウスの邸宅はガルミッシュ側にあるのではなかったか。
そう思って事務室の人に尋ねたら、やはりシュトラウスの邸宅ではなかった。シュトラウスの邸宅は別の場所にあった。親切にも地図を出して教えてくれた。ツェプリッツ通りZoeppritzstrasse42番地。ガルミッシュ側にあった。
翌日、山歩きの帰りに行ってみた。繁華街を抜けた閑静な住宅街にあった。このへんかなと思っていると、向こうから老夫婦がゆっくり歩いてきた。ご主人がシュトラウスによく似ていた。そう思った自分が可笑しかった。
シュトラウスの邸宅はすぐに見つかった。広大な敷地だ。白と緑に塗られた美しい邸宅だった。表札にはConstantin Straussと書いてある。個人の邸宅だ。門は開いていた。でも、中に入るのは憚られた。携帯で写真を1枚撮った。それが上↑の写真だ。
目の前にドイツの最高峰ツークシュピッツェが聳えたっていた。だからシュトラウスはこの場所を選んだのだろう。シュトラウスは毎日この山を見ていた。作曲で疲れたときも、ナチスとの軋轢で悩んだときも――。
山を見ながらホテルに戻る途次、頭の中では「4つの最後の歌」から「眠りにつくとき」の伸びやかな旋律と、「夕映えの中で」の微妙なハーモニーの移ろいが鳴っていた。なんて高級な音楽だろうと思った。なぜか「アルプス交響曲」は浮かんでこなかった。
わたしの愛読書の一つに「栄光のウィーン・フィル」(※)がある。ウィーン・フィルの元楽団長オットー・シュトラッサーが書いた回想録だ。その中にウィーン・フィルのメンバーがシュトラウス邸を訪れる場面がある。1941年4月28日のことだ。本書の中でもっとも美しい頁。昔からその頁を繰り返し読んだ。今その場所に立つことができた。なるほど、こういう場所だったのか――。
(※)「栄光のウィーン・フィル」
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