新国立劇場の「パルジファル」。最終日のチケットを取ったので、公演日が待ち遠しかった。
前奏曲が始まる。舞台には稲妻のようなジグザグの道が奥のほうから伸びている。その道を白い光が辿ってくる。泡立つ水のようだ。アンフォルタスの傷を癒す湖の水だろうか。鋭利な美しさだ。いかにもハリー・クプファーの演出という気がする。ハリー・クプファー健在なり、と思った。
何人かの人が倒れている。前景にクンドリーとクリングゾル、中景にアンフォルタスとグルネマンツ。後景には3人の仏僧が立っている。なるほど、仏教が重要な要素になっていることは、事前情報として入ってきた。これがそうか。これが重要なキーになるのだなと思った。
第1幕に入ってからの展開は‘研ぎ澄まされたドラマ’というに相応しいものだった。余分な動きが一切ない。なので、ちょっとした動き(たとえばパルジファルとクンドリーとの視線の交叉)が、ドキッとするようなドラマを生んだ。
第3幕の幕切れが最大の問題提起だ。パルジファル、クンドリーそしてグルネマンツは仏教に改宗したように見えた。クプファー自身がいっているように、それが最終的な解決ではなく、旅の通り道と考えるべきだろうが――。
感動した点は、このとき、聖杯騎士団の中から、騎士団の装束を脱ぎ捨てる人が現われたことだ。パルジファルに追随することはできないが、マインドコントロールからは抜け出した、というように見えた。
演出と並んで感動的だったのは歌手たちだ。まずグルネマンツ役のジョン・トムリンソン。ドイツ語のディクションが明瞭で、すべての言葉が聴き取れるようだ。またこの役に相応しい年齢的な味わいがあった。クンドリー役のエヴェリン・ヘルリツィウスは官能から絶望までのこの役のすべての襞を描き尽くすようだった。パルジファル役のクリスティアン・フランツの声も健在だった。
飯守泰次郎の「パルジファル」を聴くのは3度目だ。過去2回と比べても、今回はほんとうに肩の力の抜けた演奏だった。とくに感動的だったのは、声のラインがくっきり浮き出たことだ。オーケストラが声を圧しない。どうすればこうなるのかと思った。たぶん声を含めた完璧なバランス感覚があるからだろう。それはバイロイトの音響にルーツがあるのではないかと思った。バイロイトでは声が明瞭に聴こえる。そのイメージがあるからではないだろうか。
(2014.10.14.新国立劇場)
前奏曲が始まる。舞台には稲妻のようなジグザグの道が奥のほうから伸びている。その道を白い光が辿ってくる。泡立つ水のようだ。アンフォルタスの傷を癒す湖の水だろうか。鋭利な美しさだ。いかにもハリー・クプファーの演出という気がする。ハリー・クプファー健在なり、と思った。
何人かの人が倒れている。前景にクンドリーとクリングゾル、中景にアンフォルタスとグルネマンツ。後景には3人の仏僧が立っている。なるほど、仏教が重要な要素になっていることは、事前情報として入ってきた。これがそうか。これが重要なキーになるのだなと思った。
第1幕に入ってからの展開は‘研ぎ澄まされたドラマ’というに相応しいものだった。余分な動きが一切ない。なので、ちょっとした動き(たとえばパルジファルとクンドリーとの視線の交叉)が、ドキッとするようなドラマを生んだ。
第3幕の幕切れが最大の問題提起だ。パルジファル、クンドリーそしてグルネマンツは仏教に改宗したように見えた。クプファー自身がいっているように、それが最終的な解決ではなく、旅の通り道と考えるべきだろうが――。
感動した点は、このとき、聖杯騎士団の中から、騎士団の装束を脱ぎ捨てる人が現われたことだ。パルジファルに追随することはできないが、マインドコントロールからは抜け出した、というように見えた。
演出と並んで感動的だったのは歌手たちだ。まずグルネマンツ役のジョン・トムリンソン。ドイツ語のディクションが明瞭で、すべての言葉が聴き取れるようだ。またこの役に相応しい年齢的な味わいがあった。クンドリー役のエヴェリン・ヘルリツィウスは官能から絶望までのこの役のすべての襞を描き尽くすようだった。パルジファル役のクリスティアン・フランツの声も健在だった。
飯守泰次郎の「パルジファル」を聴くのは3度目だ。過去2回と比べても、今回はほんとうに肩の力の抜けた演奏だった。とくに感動的だったのは、声のラインがくっきり浮き出たことだ。オーケストラが声を圧しない。どうすればこうなるのかと思った。たぶん声を含めた完璧なバランス感覚があるからだろう。それはバイロイトの音響にルーツがあるのではないかと思った。バイロイトでは声が明瞭に聴こえる。そのイメージがあるからではないだろうか。
(2014.10.14.新国立劇場)