チューリヒ美術館展へ行った。すっきりした展示構成だ。作品と作品との間隔がゆったりしている。各部屋は大体同じ大きさだ。その部屋に5点前後が展示されている。そういう部屋がずっと並んでいる。どれかを目玉にしようという意図は窺えない。フラットな構成だ。それがすっきりした空気感を生む。チューリヒの街の空気感のようだと思った。
「全74点すべてが代表作」というキャッチフレーズどおり、どの作品も質が高い。あとは自分の感性に任せて、好きな作品を選べばいい。なんの誘導もない。各人の自由だ。
ハッとしたのはホドラー(1853‐1918)の部屋だ。6点が展示されている。どれもホドラーらしい作品ばかりだ。自己の内面とか、孤独とか、死とか、自然の中での再生とか、そんなホドラーらしいテーマが目の前に広がる。大作は「真実、第二ヴァージョン」(1903)だが、わたしは「日没のマッジア川とモンテ・ヴェリタ」(1893)に惹かれた。日没の空の一瞬の夕映え。透明な空気。
同じくスイスの画家だが、ホドラーとはまるでちがう画風のクレー(1879‐1940)の部屋には4点展示されていた。どれも興味深いが、わたしは「狩人の木のもとで」(1939)の前で動けなくなった。ナチスを逃れてスイスに戻った時期の作品だ。黄褐色のモノトーンの作品。太い描線の大木のもとに小さな狩人がいる。狩人は獲物を探している。獲物は大木の中に隠れている。獲物=クレー、狩人=ナチスだろう。戯画のような作品にクレーの恐怖が潜んでいる。
これもスイスの画家だが、ヴァロットン(1865‐1925)の作品が4点あった。4点の中では一番地味かもしれないが、「アルプス高地、氷河、冠雪の峰々」(1919)に惹かれた。今アルプス氷河の展望台に立っているような、眩しい光と薄い空気が感じられる作品。逆光で捉えた技巧のゆえだ。
スイスの画家の話が続いたが、本展はけっしてスイス一辺倒ではない。一番話題性のある作品はモネ(1840‐1926)の大作「睡蓮の池、夕暮れ」(1916/22)だろう。「国会議事堂、日没」(1904)も力漲る作品だ。ルソー(1844‐1910)の「X氏の肖像(ピエール・ロティ)」(1906)もルソー好きには堪らない。
各画像を紹介したいのだが、モネとルソーを除いて本展のHPにもチューリヒ美術館のHPにも載っていなかった。申し訳ない。
(2014.10.22.国立新美術館)
↓本展のHP
http://zurich2014-15.jp/
「全74点すべてが代表作」というキャッチフレーズどおり、どの作品も質が高い。あとは自分の感性に任せて、好きな作品を選べばいい。なんの誘導もない。各人の自由だ。
ハッとしたのはホドラー(1853‐1918)の部屋だ。6点が展示されている。どれもホドラーらしい作品ばかりだ。自己の内面とか、孤独とか、死とか、自然の中での再生とか、そんなホドラーらしいテーマが目の前に広がる。大作は「真実、第二ヴァージョン」(1903)だが、わたしは「日没のマッジア川とモンテ・ヴェリタ」(1893)に惹かれた。日没の空の一瞬の夕映え。透明な空気。
同じくスイスの画家だが、ホドラーとはまるでちがう画風のクレー(1879‐1940)の部屋には4点展示されていた。どれも興味深いが、わたしは「狩人の木のもとで」(1939)の前で動けなくなった。ナチスを逃れてスイスに戻った時期の作品だ。黄褐色のモノトーンの作品。太い描線の大木のもとに小さな狩人がいる。狩人は獲物を探している。獲物は大木の中に隠れている。獲物=クレー、狩人=ナチスだろう。戯画のような作品にクレーの恐怖が潜んでいる。
これもスイスの画家だが、ヴァロットン(1865‐1925)の作品が4点あった。4点の中では一番地味かもしれないが、「アルプス高地、氷河、冠雪の峰々」(1919)に惹かれた。今アルプス氷河の展望台に立っているような、眩しい光と薄い空気が感じられる作品。逆光で捉えた技巧のゆえだ。
スイスの画家の話が続いたが、本展はけっしてスイス一辺倒ではない。一番話題性のある作品はモネ(1840‐1926)の大作「睡蓮の池、夕暮れ」(1916/22)だろう。「国会議事堂、日没」(1904)も力漲る作品だ。ルソー(1844‐1910)の「X氏の肖像(ピエール・ロティ)」(1906)もルソー好きには堪らない。
各画像を紹介したいのだが、モネとルソーを除いて本展のHPにもチューリヒ美術館のHPにも載っていなかった。申し訳ない。
(2014.10.22.国立新美術館)
↓本展のHP
http://zurich2014-15.jp/