多くの方がそう思っていると思うが、モンテヴェルディの「ポッペーアの戴冠」は、現存する3つのオペラの中でも、もっとも現代的なオペラだと思う。端的にいって、ものすごく面白い! どうしてあの時代にこういうオペラが書けたのかと、うっかり言いそうになるが、じつは人間がやっていること、そしてその表現は、今も昔も変わらないということだろう。いや、昔の方がもっと剥き出しだったかもしれない。
それにしても、モンテヴェルディはすごいと思う。たまたま残った3つのオペラが、今に至るまでのオペラの3つの典型のような気がする。「オルフェーオ」は悲劇的なオペラの、「ウリッセの帰還」は喜劇的なオペラの、そして「ポッペーアの戴冠」は悪と官能の表現の、それぞれ典型のように見える。
上述のとおり、わたしには「ポッペーアの戴冠」が一番面白いが、どういうわけか、舞台上演は一度も観たことがない。巡り合わせが悪いのだろう。今の演出ならいくらでも面白くできそうな作品だ。いつか観てみたい。
今回も演奏会形式だ。でも、簡単な所作を伴っていた。これで十分ドラマが感じられる。
演出がない分、演奏に集中した。なんといっても、タイトルロールのロベルタ・マメリに圧倒された。第1幕の登場の場面(ローマ皇帝ネローネとの後朝の別れの場面)での官能性といったら! ポッペーアが自らの魅力のすべてを動員してネローネを籠絡するように、マメリもその音楽性と声の官能性とを総動員し、聴いているわたしたちを甘くからめ捕る。
そうかと思えば、野心を歌い上げるソロの場面では、ホールの大空間を揺るがす。文字通り大空間が震えるのだ。それも大声で震わせるのではなく、声の技術で震わせる。圧倒的という表現では物足りないくらいの凄さだ。
マメリ以外ではカウンターテナーのラファエレ・ピに感銘を受けた。オットーネ(ポッペーアの夫)を歌ったのだが、頼りないキャラクターになりがちなこの役に、一本芯の通った人間性を感じさせた。優秀な歌手ならではのことだ。
クラウディオ・カヴィーナ指揮ラ・ヴェネクシアーナはヴァイオリン2、ヴィオラ1そして低音部の編成。使用楽譜のナポリ稿(カヴィーナ監修)は4声で書かれているそうなので(シンフォニアとリトルネッロ)、原譜に沿った編成だ。最近の古楽演奏はほんとうに進化している。これも精彩に富んだ演奏だった。
(2014.10.15.東京オペラシティ)
それにしても、モンテヴェルディはすごいと思う。たまたま残った3つのオペラが、今に至るまでのオペラの3つの典型のような気がする。「オルフェーオ」は悲劇的なオペラの、「ウリッセの帰還」は喜劇的なオペラの、そして「ポッペーアの戴冠」は悪と官能の表現の、それぞれ典型のように見える。
上述のとおり、わたしには「ポッペーアの戴冠」が一番面白いが、どういうわけか、舞台上演は一度も観たことがない。巡り合わせが悪いのだろう。今の演出ならいくらでも面白くできそうな作品だ。いつか観てみたい。
今回も演奏会形式だ。でも、簡単な所作を伴っていた。これで十分ドラマが感じられる。
演出がない分、演奏に集中した。なんといっても、タイトルロールのロベルタ・マメリに圧倒された。第1幕の登場の場面(ローマ皇帝ネローネとの後朝の別れの場面)での官能性といったら! ポッペーアが自らの魅力のすべてを動員してネローネを籠絡するように、マメリもその音楽性と声の官能性とを総動員し、聴いているわたしたちを甘くからめ捕る。
そうかと思えば、野心を歌い上げるソロの場面では、ホールの大空間を揺るがす。文字通り大空間が震えるのだ。それも大声で震わせるのではなく、声の技術で震わせる。圧倒的という表現では物足りないくらいの凄さだ。
マメリ以外ではカウンターテナーのラファエレ・ピに感銘を受けた。オットーネ(ポッペーアの夫)を歌ったのだが、頼りないキャラクターになりがちなこの役に、一本芯の通った人間性を感じさせた。優秀な歌手ならではのことだ。
クラウディオ・カヴィーナ指揮ラ・ヴェネクシアーナはヴァイオリン2、ヴィオラ1そして低音部の編成。使用楽譜のナポリ稿(カヴィーナ監修)は4声で書かれているそうなので(シンフォニアとリトルネッロ)、原譜に沿った編成だ。最近の古楽演奏はほんとうに進化している。これも精彩に富んだ演奏だった。
(2014.10.15.東京オペラシティ)