Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ドン・ジョヴァンニ

2014年10月23日 | 音楽
 新国立劇場の「ドン・ジョヴァンニ」。2008年の初演以来これで3度目の上演だ。3度とも観ているが、知らなかったことがある。三澤洋史氏のブログ(※1)で初めて知ったのだが、この演出の基調となっている紫色は、カトリック教会では‘喪の色’なのだそうだ。「ミサの時の司祭が着る祭服の色は、その時によって違うが、復活祭の前の懺悔の時である四旬節の間や、葬儀の時には特別に紫色である」。

 それを知ったうえで舞台を観ると、今までとはまるで違ったものが見えた。まずドン・ジョヴァンニの着ている服が紫色だ。つまりドン・ジョヴァンニは終始‘死’を身にまとっているのだ。また土壇場の晩餐の場面では、鮮やかな紫色のカーテンが舞台を覆う。これもドン・ジョヴァンニの死の暗示だ。

 ドンナ・アンナの喪服の黒色とドン・ジョヴァンニの紫色とが、2本の糸を撚り合わせるように、‘死’を織り込んでいくわけだ。

 そのことに感心して観ていたが、一方、これで3度目のこの舞台は、‘性’の表現が(初演の頃とくらべて)控えめになっているのではないかと思った。いや、記憶が確かではないので、こう言い直してもいい。もしアサガロフがヨーロッパで演出したら、もっと‘性’を強調したのではないかと。

 ‘性’と‘死’が表裏一体のものとして絡み合ったときに初めて、この演出は完成するのではないかと思った次第だ。

 歌手は今回きわめて高水準だった。とくに第2幕の後半、ドン・オッターヴィオ(パオロ・ファナーレ)、ドンナ・エルヴィーラ(アガ・ミコライ)、ドンナ・アンナ(カルメラ・レミージョ)が順にアリアを歌う箇所は圧巻だった。

 ドン・ジョヴァンニのアドリアン・エレートもさすがに名歌手だ。今まで聴いたドン・ジョヴァンニの中でもとくに印象に残りそうな出来だった。エレートは本年9月に都響が小泉和裕指揮、鈴木学のヴィオラ独奏で演奏したヴィオラ協奏曲の作曲者イヴァン・エレートの息子だ。イヴァンはハンガリー人だが、1956年のハンガリー動乱の時にウィーンに逃れた。そこで結婚して生まれた子供の一人がアドリアンだ。(※2)

 指揮のラルフ・ヴァイケルトは、いつもながら、おっとりした、現代との接点を持っていないような指揮で、どうにも重かった(とくに第1幕が)。もっと活きがよくて、切れば血が噴き出るような指揮だったら――と惜しまれた。
(2014.10.22.新国立劇場)

(※1)「三澤洋史の今日この頃」の10月13日の記事
http://cafemdr.org/

(※2)Wikipedia(英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Iv%C3%A1n_Er%C5%91d
コメント
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