Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

後藤さんのツィート

2015年02月03日 | 身辺雑記
 後藤健二さんの悲報に接して以来、気持ちのふさぐ想いから抜け出せない。とりとめのない想いがあれこれ浮かぶ。何一つまとまったことができない。音楽関係のブログを書いたが、没にした。

 後藤さんも音楽が好きだったようだ。twitterを読むと、ベルリオーズの幻想、ドヴォルザークの8番、アンネ・ゾフィー・ムターなどが出てくる。厳しく、緊張の極みにある取材現場から一歩離れたときには、音楽に耳を傾けていたようだ。

 取材中の後藤さんは生き生きとして見える。後藤さん自身、生命の充溢を感じていたのではないだろうか。危険があることは誰よりも分かっていたろうが、そんなことは問題にならなかった。誰が止めても現場に行っただろう。そんな輝きが発している。

 twitterのフォロワーは今現在で36,499人だ。どんどん増えている。わたしがだれかのツィートに応えてフォロワーになった時は何人だったろう。ともかく、すごい勢いで増えている。

 2月2日の日経新聞夕刊に後藤さんのツィートが載った。2010年9月7日のツィートだ。

 「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。―そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。」

 わたしもリツィートした。今見たら29,703人がリツィートしている。このツィートは後藤さんが天国から今のわたしたちに発したもののように感じられる。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域――、私たちに今一番大事なことだ。憎しみを煽るような言葉には十分注意しよう。ネットにはそんな言葉も溢れている。そんな言葉は遠ざけよう。そういう言葉ほど後藤さんの遺志から遠いものはない。

 唐突かもしれないが、ナチスはユダヤ人にたいする人々の憎しみを煽った。それは大成功した。憎しみはナチズムの根幹を成した。また、三島由紀夫は、戯曲「鹿鳴館」のなかで登場人物の一人に「政治とは人々の憎しみを組織化することだ」(大意)と言わせている(申し訳ないが、手元に原文がないので、言葉は正確ではない)。三島は権力の側をよく知っていたと思う。

 わたしは音楽が好きなので、仕事からまっすぐ帰った日にはCDを聴く。どうしても後藤さんのことが頭から離れないので、追悼の想いで聴く。昨日はショパンの夜想曲を聴いた。遺作の第21番ハ短調(有名な第20番嬰ハ短調ではなく)が一番しっくりきた。
コメント
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