Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

SHOAHショア

2015年02月16日 | 映画
 ドキュメンタリー映画「SHOAHショア」が公開中だ。アウシュヴィッツなどナチスの強制収容所の記憶、あるいはワルシャワのゲットー(ユダヤ人強制居住区)の記憶などを語る多数の証言の記録だ。

 全編で567分(9時間27分)の映画。半端な長さではない。第1部274分、第2部293分の2部構成になっている。今回の上映では、第1部をさらに2分割し、第2部も同様にして、全部で4部構成になっている。

 部分的に観ることも可能だが、一気上映の日もある。何度も足を運ぶことは難しいので、覚悟を決めて、一気上映に臨んだ。午前10時45分から始まって、終わったのは午後9時15分。途中に3回休憩があったが、入れ替えのための休憩であって、実際はトイレに行くのが精いっぱい。コンビニに行くこともできなかった。

 苦行といえば苦行だ。お腹も空いた。前の方の席で観ていたので、最後には首が痛くなった。でも、なんといっても、内容が内容だ。強制収容所やゲットーでの凄惨をきわめた経験を聞くと、お腹が空いた、疲れたなどと不平をいう気にはなれなかった。

 なぜ、こんなに長い映画になったのか。それが分かった。たとえばある強制収容所からの生還者に会って話を聞く。その生存者は当時13歳の少年だった。強制収容所で下働きをさせられた。歌がうまかった。その歌声は近隣のポーランド人たちに知られていた。それが分かると、当時のポーランド人たちに話を聞く。さらにその生存者を連れて行って、当時のポーランド人たちと再会させる。

 その生存者の反応はどうか。胸にはなにが去来するか。またポーランド人たちの反応はどうか。昔と今とではなにが違っているか。それとも同じか。静かなドラマが進行する。忘れられない。

 このように芋づる式に当時の人々から話を聞く。各人の話には、ディテールはともかく、意外に矛盾がない。記憶は一致している。だが、ユダヤ人、ポーランド人、あるいはナチス(当時ナチスだった人々からも話を聞いている)、それぞれの感じ方には絶望的な溝がある。それは今でもだ。

 1985年の作品だ。当時は世界各国で各種の映画賞を受賞した。日本では1987年にヴィデオ上映会が開かれた。1995年には東京日仏学院(当時)で試写会開催。1997年にはアテネ・フランセ文化センターで一般公開。そしてついに今回の劇場上映となった。
(2015.2.15.イメージ・フォーラム)

↓「SHOAHショア」など3作品の特設ページ
http://mermaidfilms.co.jp/70/
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