Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

パーヴォ・ヤルヴィ/N響

2015年02月15日 | 音楽
 パーヴォ・ヤルヴィが振るN響定期のCプロ。前回のAプロ(2月7日)の異常な緊張感が再現するのか、それとも――。

 1曲目は庄司紗矢香をソリストに迎えてシベリウスのヴァイオリン協奏曲。冒頭、独奏ヴァイオリンがテーマを提示するその歌い方が、あえていえば、さりげなく、スッと入ってくる。いかにも庄司紗矢香だと思った。この部分、思い入れたっぷりに歌うソリストもいるが、庄司紗矢香はそうではない。音楽の形を崩さない。デフォルメしない。全体の構成の中にぴったり入る。

 以下、庄司紗矢香の独り舞台だ。淀みなく語り続けるその演奏が、いつの間にか大きくクローズアップされる。オーケストラの細心のテクスチュアがそれを支える。第2楽章もしかり。庄司紗矢香が語り続ける。

 いつも思うことだが、庄司紗矢香の存在感はすごい。並外れている。とくになにか変ったことをするわけではないのに、圧倒的な存在感がある。持って生まれた音楽性。揺るぎのない音楽が眼前する。

 でも、正直にいうと、今回、物足りなさを感じてしまった。そんなことは初めてだ。自分でも驚いた。予想もしていなかった。だが、なにか、感じることがあった。それはなにかというと、もうちょっと冒険してもいいのでは、ということだ。極めて安定したその演奏(それ自体すごいことだが)の先に、その場限りの冒険があったら、と思った。

 オーケストラは、第3楽章になって、今まで気付かなかった音型が、あちこちから聴こえるようになった。こんなことをやっていたのかと、目をみはる想いがした。第2楽章までの細心の演奏から一転して、わたしたちを挑発するような面白さがあった。

 アンコールが演奏された。ヴァイオリンをギターのように持って、ピチカートだけで演奏する作品。小唄のような曲だった。シベリウスの「水滴」。シベリウスにこんな曲があったのかと驚いた。帰宅後、ナクソス・ミュージック・ライブラリーを調べてみたら、ヴァイオリンとチェロの二重奏曲だった。では、チェロは、どうなったのだろう。

 2曲目はショスタコーヴィチの交響曲第5番。オーケストラの音色の多彩さは前回Aプロと同様だが、あの異常な緊張感は再現しなかった。あれは一回限りのものだったのだろうか。それとも、コンサートマスターの違い(前回は客員のエシュケナージ、今回は堀正文)の影響があったのだろうか。
(2015.2.14.NHKホール)

↓シベリウスの「水滴」
http://ml.naxos.jp/work/2049152
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