ジョルジョ・モランディ(1890‐1964)は、生涯にわたって郷里ボローニャに住み続け、美術学校の教師をしながら、静物画を描き続けた。何本かの壜やカップ、あるいは水差しなど、ありふれた日用品を描いた静物画。それ以外には風景画も描いたが、量的には少ない。あくまでも静物画の画家だった。
そのモランディの展覧会が開かれている。先述したような壜やカップ、水差しなどを描いた静物画がいくつも並んでいる。淡々とした印象。失礼ながら、最初は同じような絵が並んでいると思ってしまった。
でも、見ているうちに、だんだん面白くなってきた。なぜだかは分からないが、言葉にならない面白さを感じるようになった。見ていて飽きない。それが不思議だった。
本展には「終わりなき変奏」という副題が付いている。言い得て妙だと思った。垂直方向に深めるのではなく、水平方向に広がっていく変奏。壜やカップ、その他の配列の完璧なバランスを求めるのではなく、バランスの微妙な変化を楽しむ感性。変奏という言葉は音楽用語だが、音楽作品、あるいは作曲家に似たようなタイプはいるだろうか。ちょっと考えたが、思いつかなかった。
生涯にわたってこのような静物画を描き続けたことは驚くべきことだが、それがマンネリ化しなかったことは、もっと驚くべきことかもしれない。モランディ自身が自らを戒めていたからだ。自らに対する厳しさ、その精神の強靭さが、これらの作品に表れているのではないだろうか。
モランディの生涯は両大戦に重なっている。その影響が見られないことが気になると思ったが、よく見ると1941年の「静物」(Cat.No.49)が暗い色調で異色だった。不吉な予感に怯えたような作品。緊張して息を潜めているような作品。
風景画も意外によかった。最初期の「風景」(1921年、Cat.No.83)は真ん中に家の側面(ただし窓はなく、壁だけの側面)が描かれ、その背後に木立が描かれている。各々の形態は単純化されている。茶褐色の家も、緑色の木立も、淡く、穏やかな色調。静物画と共通の色調だ。
モランディは――売るためにではなく、家族や友人に贈るために――花の絵も描いた。花瓶に活けられた花々。でも、造花だ。生命がない花々。ゾッとするが、でも、美しいと思った。これらの花々は、静物画での壜やカップと等価の物だったのかもしれない。
(2016.3.31.東京ステーションギャラリー)
※本展のHP
そのモランディの展覧会が開かれている。先述したような壜やカップ、水差しなどを描いた静物画がいくつも並んでいる。淡々とした印象。失礼ながら、最初は同じような絵が並んでいると思ってしまった。
でも、見ているうちに、だんだん面白くなってきた。なぜだかは分からないが、言葉にならない面白さを感じるようになった。見ていて飽きない。それが不思議だった。
本展には「終わりなき変奏」という副題が付いている。言い得て妙だと思った。垂直方向に深めるのではなく、水平方向に広がっていく変奏。壜やカップ、その他の配列の完璧なバランスを求めるのではなく、バランスの微妙な変化を楽しむ感性。変奏という言葉は音楽用語だが、音楽作品、あるいは作曲家に似たようなタイプはいるだろうか。ちょっと考えたが、思いつかなかった。
生涯にわたってこのような静物画を描き続けたことは驚くべきことだが、それがマンネリ化しなかったことは、もっと驚くべきことかもしれない。モランディ自身が自らを戒めていたからだ。自らに対する厳しさ、その精神の強靭さが、これらの作品に表れているのではないだろうか。
モランディの生涯は両大戦に重なっている。その影響が見られないことが気になると思ったが、よく見ると1941年の「静物」(Cat.No.49)が暗い色調で異色だった。不吉な予感に怯えたような作品。緊張して息を潜めているような作品。
風景画も意外によかった。最初期の「風景」(1921年、Cat.No.83)は真ん中に家の側面(ただし窓はなく、壁だけの側面)が描かれ、その背後に木立が描かれている。各々の形態は単純化されている。茶褐色の家も、緑色の木立も、淡く、穏やかな色調。静物画と共通の色調だ。
モランディは――売るためにではなく、家族や友人に贈るために――花の絵も描いた。花瓶に活けられた花々。でも、造花だ。生命がない花々。ゾッとするが、でも、美しいと思った。これらの花々は、静物画での壜やカップと等価の物だったのかもしれない。
(2016.3.31.東京ステーションギャラリー)
※本展のHP