Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

高島野十郎展

2016年04月28日 | 美術
 高島野十郎(たかしま・やじゅうろう)(1890-1975)は、生前ほとんど世間に知られることがなく、没後もしばらくは忘れられていたが、1980年代に入って再発見された。今では多くの人々を惹きつけている。

 わたしは、その絵が見たくて、福岡県立美術館に行ったことがある。もう10年近く前のことだ。同館の一角に高島野十郎コーナーがあった。全部で10点ほどの作品が展示されていたと記憶する。蝋燭の絵しか知らなかったわたしは、柿などを描いた静物画や、夜空に浮かぶ月を描いた風景画があることを知り、じっと見入った。

 今、目黒区美術館で開かれている回顧展は、総数150点ほどを集めた本格的なものだ。東京帝国大学の水産学科を卒業した後、画家の道を歩み始めた頃から、最晩年の絶筆に至るまで、野十郎の生涯にわたる作品をたどることができる。

 まず静物画からいうと、前述の柿などを描いた作品は、1948年頃から始まり、主に1950年代に描かれたことが分かった。代表作の一つの「からすうり」では、薄茶色の壁にカラスウリがいくつも垂れ下がっている。暖かみのあるオレンジ色の実。左から光が射し、影が壁に映っている。まさに小宇宙と呼ぶに相応しい作品。画家の恬淡とした境地が感じられる。

 風景画も多い。もっとも心を打たれた作品は「林辺太陽」。冬だろうか、葉をすっかり落とした裸の木々が、何本も立っている。それらの木々の間から、落日が今まさに最後の輝きを放っている。眩しいくらいの光。荘厳な光景。たんなる風景画を超えたなにか絶対的なものが感じられる。

 「林辺太陽」は1967年頃の作品。興味深く思った点は、若い頃にも同じような作品があったことだ。1925年の「落暉」という作品。見渡す限りの原野に今まさに夕日が落ちようとしている。夕日の下には池のようなものが見える。周囲は荒れた野原。野十郎の心象風景は、意外に若い頃から変わっていないのかもしれない。

 野十郎のトレードマークのようになっている蝋燭の絵、そして月の絵は、ともに何点か展示されている。静物画、あるいは風景画というにはあまりに強い象徴性が感じられる。そこに描かれたものはなんだったのだろう。

 会場を出るとき、なんだか凄いものを見てしまったと思った。わたしの感性とか思想とか、そういったものの根底に触れるものがあった。その感触は今も残っている。
(2016.4.27.目黒区美術館)

(※)本展のHP
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