Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

下野竜也/読響

2016年04月15日 | 音楽
 下野竜也指揮の読響の定期。下野竜也は来年3月に読響の現在のポスト(首席客演指揮者)を退任する。定期を振るのは今回が最後。2006年11月に正指揮者に就任して以来、約10年間にわたって意欲的なプログラムを組んできた。わたしにとっては、現在もっとも重要な指揮者の一人だ。読響との10年間を(わたしなりに)振り返ってみたい気がするが、今はとりあえず昨日の定期から。

 1曲目は池辺晋一郎の「多年生のプレリュード」。2011年1月に今回と同じ下野竜也/読響で初演された。その演奏も聴いたが、どんな曲だったか、(情けないことに)まったく覚えていない。で、まっさらな状態で聴いた。驚くほど面白かった。

 まるでアニメを見るような曲だ。息つく暇もなく場面が転換する。元気いっぱいの少年(あるいは少女)が野原を飛び回って冒険をするアニメ。そんなアニメをこの曲につける人が現れてもおかしくないと思った。

 演奏もよかったと思う。ユーモアがあって、いたずら好きで、生き生きとしていて、活発な演奏。下野竜也と読響がこの10年間に育んできた個性の一部が、最良の形で発揮された演奏だったと思う。

 2曲目はベートーヴェンの交響曲第2番。冒頭の和音が(誤解を恐れずに言うなら)池辺晋一郎の曲と同じようにポジティヴな音で鳴った。少なくとも、池辺晋一郎の曲とベートーヴェンのこの曲との間に断絶がなく、同じ平面で続いていった。

 演奏には下野竜也の精神面での充実を感じた。前向きなエネルギーに満ち、しかも一本調子にならずに陰影に富み、かつ安定感を失わない演奏。わたしはとくに第2楽章ラルゲットでのみずみずしい息遣いに惹かれた。

 3曲目はジェラルド・フィンジ(1901-1956)の「霊魂不滅の啓示」。物々しいタイトルだが、これはイギリスの詩人ワーズワース(1770-1850)の詩のタイトルだ。湖水地方の自然を謳いながら、ワーズワースの死生観を投影した詩。その詩を使ったオーケストラと合唱とテノール独唱のための音楽がこの曲だ。

 いかにもイギリス音楽らしい曲。その味わいがよく出た演奏だ。大曲だが、大曲をまとめる手腕は、下野竜也/読響のコンビは定評のあるところ。安心して聴いていられた。テノール独唱のロビン・トリッチュラーは、ブリテンにも適性がありそうなノーブルな声の持ち主だ。二期会合唱団も美しかった。
(2016.4.14.サントリーホール)

追記
 帰宅してパソコンを開いたら、熊本で震度7の大地震が起きていた。その後も余震が起きている模様。テレビがないので、インターネットで情報を得るだけだが、どれも断片的で心配が募る。ツィッターで、詩人の和合亮一氏が、東日本大震災のときのご自身の経験を踏まえて、実際的で、かつ適切なアドバイスを発信していた。さすがだ。胸が熱くなった。
コメント
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