家にいるとラジオをつけっぱなしにしている。熊本と大分の被災状況に気が滅入る。軽い欝のような状態になりそうだ。でも、こんなときだからこそ、東京や大阪にいる人間はいつもどおりの生活(経済活動)をすべきだということを、東日本大震災のときに学んだ。自分にそう言い聞かせて、N響の定期に出かけた。
指揮はレナード・スラットキン。前半にバッハの名曲の管弦楽編曲版を並べたプログラム。編曲は往年の名指揮者たち。
オーケストラのチューニングが終わり、スラットキンが登場する。聴衆に一礼。すると、コンサートマスターの伊藤亮太郎が立ち上がって、バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番からプレリュードを弾き始めた。線は細いが、正確で、すがすがしい演奏。スラットキンも指揮台の後ろで聴いている。満場の拍手。
次に同曲をバッハ自身が編曲したカンタータ「神よ、あなたに感謝をささげます」からシンフォニアが演奏された。オルガンが高音域を駆け巡る。実質的にオルガン協奏曲だ。オーケストラは弦楽の他にオーボエ2本とトランペット2本、そしてティンパニ1対。華やかな音色だ。
さらに同曲のヘンリー・ウッド(1869-1944)による編曲版。ヘンリー・ウッドはロンドンの夏の風物詩‘プロムス’とは切っても切り離せない名前だ。その編曲による管弦楽版は、原曲にはない音型を加えて、プロムスのお祭り騒ぎを盛り上げる賑やかな音楽になった。
次に往年の名指揮者バルビローリ(1899-1970)とオーマンディ(1899-1985)の各編曲物が演奏された。逐一記述すると煩瑣になるので、それらは飛ばすことにして、ストコフスキー(1882-1977)の例の「トッカータとフーガ ニ短調」に触れておきたい。
ステージを埋め尽くす巨大なオーケストラ。マーラーのどんな曲でもやれそうな編成だ。冒頭の、軋むような、緊張した音にハッとした。‘超’派手な編曲。一癖も二癖もあるストコフスキーの個性が光っていた。
プログラム後半はプロコフィエフの交響曲第5番。指揮者とオーケストラがよくかみ合った演奏。スラットキンとN響の相性のよさが感じられる。オーケストラの鳴り方に無理がない。暖かい音色。どこをとっても曇りがない。緩‐急‐緩‐急と続く全4楽章の、偶数楽章の快適なテンポが心地よい。なおこの曲ではコンサートマスターが篠崎史紀に変わった。
(2016.4.17.NHKホール)
指揮はレナード・スラットキン。前半にバッハの名曲の管弦楽編曲版を並べたプログラム。編曲は往年の名指揮者たち。
オーケストラのチューニングが終わり、スラットキンが登場する。聴衆に一礼。すると、コンサートマスターの伊藤亮太郎が立ち上がって、バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番からプレリュードを弾き始めた。線は細いが、正確で、すがすがしい演奏。スラットキンも指揮台の後ろで聴いている。満場の拍手。
次に同曲をバッハ自身が編曲したカンタータ「神よ、あなたに感謝をささげます」からシンフォニアが演奏された。オルガンが高音域を駆け巡る。実質的にオルガン協奏曲だ。オーケストラは弦楽の他にオーボエ2本とトランペット2本、そしてティンパニ1対。華やかな音色だ。
さらに同曲のヘンリー・ウッド(1869-1944)による編曲版。ヘンリー・ウッドはロンドンの夏の風物詩‘プロムス’とは切っても切り離せない名前だ。その編曲による管弦楽版は、原曲にはない音型を加えて、プロムスのお祭り騒ぎを盛り上げる賑やかな音楽になった。
次に往年の名指揮者バルビローリ(1899-1970)とオーマンディ(1899-1985)の各編曲物が演奏された。逐一記述すると煩瑣になるので、それらは飛ばすことにして、ストコフスキー(1882-1977)の例の「トッカータとフーガ ニ短調」に触れておきたい。
ステージを埋め尽くす巨大なオーケストラ。マーラーのどんな曲でもやれそうな編成だ。冒頭の、軋むような、緊張した音にハッとした。‘超’派手な編曲。一癖も二癖もあるストコフスキーの個性が光っていた。
プログラム後半はプロコフィエフの交響曲第5番。指揮者とオーケストラがよくかみ合った演奏。スラットキンとN響の相性のよさが感じられる。オーケストラの鳴り方に無理がない。暖かい音色。どこをとっても曇りがない。緩‐急‐緩‐急と続く全4楽章の、偶数楽章の快適なテンポが心地よい。なおこの曲ではコンサートマスターが篠崎史紀に変わった。
(2016.4.17.NHKホール)