Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

カラヴァッジョ展

2016年04月22日 | 美術
 去年のいつだったか、今年はカラヴァッジョ展が開かれることを知ったときには興奮した。これは大事件だと思った。

 カラヴァッジョはなぜ人々を興奮させるのだろう。カラヴァッジョと聞いただけで血湧き肉踊るのはなぜだろう。その作品の破格のパワー、迫真性、光と影、深い静寂、人間精神の底にあるもの、カラヴァッジョ以外のだれにも表現できない精神の闇、そして救い、なにかそんなものが、カラヴァッジョの破滅的な人生と相俟って、感じられるから、なのだろうか。

 展覧会には来週行くつもりだった。だが、先日の日曜日にNHKの「日曜美術館」で取り上げられたことを知った。次の日曜日には再放送される。そうすると来週は混むかもしれない。そう思って、多少無理をして昨日行ってきた。

 本展の目玉は、最晩年の(といっても、わずか38歳で亡くなったが)「法悦のマグダラのマリア」の真筆と思われる作品。模写は数多くあり、その図像は広く知られているが、真筆は行方不明だった。この度カラヴァッジョ研究の権威ミーナ・グレゴーリが真筆と認めた作品が来ている。世界初公開だ。

 見ているうちに、恐くなってくる作品だ。闇の中でマグダラのマリアが仰向いて、白目をむき、口を薄く開いている。死人のようだ。この世のものとは思えない強い光(神の光だろうか)に照らされて、顔色は白い。血の気がない。光は左上から射している。その方向に光源がある。闇がそこだけぼんやりと明るくなっている。目を凝らすと、闇の中に十字架が見える。そうか、洞窟にこもったマグダラのマリアを描いた作品かと納得する。

 右肩にかかる金髪が妙に平べったい。退色しているのかもしれない。ともかく、本作が発する凄みは尋常ではない。カラヴァッジョが亡くなるときに携えていた3点の作品のうちの1点である可能性が指摘されている。そうかもしれないと思う。

 本作が真筆であることについては、カラヴァッジョ研究者の間で決着済みのことなのかどうか、わたしは知らないが、異常なほどの凄みを感じたことは間違いない。

 去る4月13日の新聞各紙に、フランスのトゥールーズでカラヴァッジョの真筆と思われる作品が見つかったことが報じられた。ローマにある「ホロフェルネスの首を斬るユディット」の別ヴァージョン。カラヴァッジョの失われた作品の探索は世界各地で続いている。現在進行形の画家だ。
(2016.4.21.国立西洋美術館)

(※)「法悦のマグダラのマリア」(本展のHP)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする