セバスティアン・ヴァイグレの指揮は、今までに2度(ベルリンとバイロイトで)オペラを聴いたことがあるが、あまり印象に残っていなかった。でも、今回の読響定期で、どういう指揮者なのか、よく分かった。
プログラムはオール・シュトラウス・プロ。1曲目は交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」。冒頭、羽毛のような柔らかな音で弦が入ってきた。続くホルンのソロは、驚くほどゆっくりしていた。もう一度繰り返されるホルンのソロが、今度はテンポを速めて(‘普通の’テンポで)演奏された。細かいドラマ作りだ。
音は終始(どんな場合でも)明るく、艶がある。耳に心地よい。音楽の流れも明快だ。よどみなく流れる。安心してその流れに身を任せることができる。その流れの中に生起する細かいドラマを、余裕をもって楽しむことができる。ストレスが残らない演奏だ。
7月の定期を振ったコルネリウス・マイスターも、その点では似ていた。でも、どっしりした安定感では、ヴァイグレのほうが一枚も二枚も上手だ。
それにしても、次代を担う若手の有望株であるマイスターと、今が働き盛りの中堅のヴァイグレと、その2人のドイツ人指揮者が、往年の巨匠とは、音も、音楽作りも、違うタイプであることは、今の時代を(その一面を)物語っているようでもあった。
2曲目は「4つの最後の歌」。ソプラノ独唱はエルザ・ファン・デン・ヘーヴァー。オーケストラの豊かな起伏を乗り越えて、ヘーヴァーの声が響き渡り、ホールの大空間を満たした。まるでワーグナーのブリュンヒルデか何かのようだった。オペラ的な演奏。この曲のこういう捉え方もあるのかと‥。
3曲目は「家庭交響曲」。ヴァイグレの音楽性、そして能力が全開だった。読響もよくその指揮に応えた。複雑な紆余曲折を辿るこの曲が、方向感を見失うことなく、豊かなドラマを伴って(さらにいえば、ゴージャスなサウンドで)演奏された。両者はよくかみ合っていた。相性のよさが感じられた。
個別の奏者では、コンサートマスターの日下紗矢子が見事なソロを聴かせた。その存在感はたいしたものだ。首席ホルンの松坂隼も健闘した。2人はこの日のプログラムではどの曲にもソロがあり、注目の的だったが、立派な出来だった。
会場ではファビオ・ルイジの姿を見かけた。お目当てはヴァイグレか、読響か。
(2016、8.23.サントリーホール)
プログラムはオール・シュトラウス・プロ。1曲目は交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」。冒頭、羽毛のような柔らかな音で弦が入ってきた。続くホルンのソロは、驚くほどゆっくりしていた。もう一度繰り返されるホルンのソロが、今度はテンポを速めて(‘普通の’テンポで)演奏された。細かいドラマ作りだ。
音は終始(どんな場合でも)明るく、艶がある。耳に心地よい。音楽の流れも明快だ。よどみなく流れる。安心してその流れに身を任せることができる。その流れの中に生起する細かいドラマを、余裕をもって楽しむことができる。ストレスが残らない演奏だ。
7月の定期を振ったコルネリウス・マイスターも、その点では似ていた。でも、どっしりした安定感では、ヴァイグレのほうが一枚も二枚も上手だ。
それにしても、次代を担う若手の有望株であるマイスターと、今が働き盛りの中堅のヴァイグレと、その2人のドイツ人指揮者が、往年の巨匠とは、音も、音楽作りも、違うタイプであることは、今の時代を(その一面を)物語っているようでもあった。
2曲目は「4つの最後の歌」。ソプラノ独唱はエルザ・ファン・デン・ヘーヴァー。オーケストラの豊かな起伏を乗り越えて、ヘーヴァーの声が響き渡り、ホールの大空間を満たした。まるでワーグナーのブリュンヒルデか何かのようだった。オペラ的な演奏。この曲のこういう捉え方もあるのかと‥。
3曲目は「家庭交響曲」。ヴァイグレの音楽性、そして能力が全開だった。読響もよくその指揮に応えた。複雑な紆余曲折を辿るこの曲が、方向感を見失うことなく、豊かなドラマを伴って(さらにいえば、ゴージャスなサウンドで)演奏された。両者はよくかみ合っていた。相性のよさが感じられた。
個別の奏者では、コンサートマスターの日下紗矢子が見事なソロを聴かせた。その存在感はたいしたものだ。首席ホルンの松坂隼も健闘した。2人はこの日のプログラムではどの曲にもソロがあり、注目の的だったが、立派な出来だった。
会場ではファビオ・ルイジの姿を見かけた。お目当てはヴァイグレか、読響か。
(2016、8.23.サントリーホール)