「ポンピドゥー・センター傑作展」はかなりユニークだ。フォービスム(野獣派)が登場した1906年から、ポンピドゥー・センターがオープンした1977年まで、1年1作家1作品で構成している。しかも1度登場した作家は2度と登場しない。またフランス人か、フランスで制作したことがある作家に限られている。
一般的に展覧会というと、ある画家に焦点を当てたり、ある流派に焦点を当てたりすることが多い。前者を「点」で構成した展覧会、後者を「面」で構成した展覧会とするなら、本展は「線」で構成した展覧会といえそうだ。
本展の基本コンセプトは「線」だ。「線」が本展の展示方法やホームページの作り方を規定している。「線」は直線であったり、曲線であったり、ギザギザの線であったりするが、ともかく不可逆性のある「線」が基本だ。
このような展覧会の場合、わたしがいつも展覧会の感想のときに使っている方法(数点のとくに自分にとって意味のある作品を取り上げて、その感想を記す方法)では、本展の感想を語れないような気がする。では、どんな方法が有効か。
素直に自分の心の動きを辿るなら、最初は淡々と歩を進めていた。何点かの惹かれる作品はあったが、それはいつものことだ。ところが1935年のピカソの「ミューズ」(チラシの絵↑)の前に来たときに、これは悲しい絵だと思った。ピカソが愛人を孕ませ、妻との関係が破綻したときの作品。愛人はあどけなく眠っている。妻はその横で自画像を描いている。その妻の辛い気持ちを、ピカソは描いている。
あらためて年代を見ると、1935年。もしかすると本作には、ピカソの私生活の反映だけではなく、戦争前夜の緊迫した空気の影響もあるかもしれないと思った。
そう思って進むと、次の1936年はガルガーリョという人のブロンズ彫刻「預言者」だった。荒野で「悔い改めよ」と叫ぶ預言者ヨハネが、戦争に突き進む社会への警鐘のように感じられた。
次の1937年はカンディンスキーの「30」。カンディンスキー晩年のデザイン的な作品だが、白(青味がかった灰色)と黒とのモノトーンの作品であることが異色だ。同じモノトーンということで、ピカソの「ゲルニカ」を思い出した。「ゲルニカ」のパリ万博での公開も1937年だった。何らかの影響関係があるのか、ないのか。いずれにしても、緊迫する時代の空気が感じられて、思わず緊張した。
(2016.8.16.東京都美術館)
本展のHP
一般的に展覧会というと、ある画家に焦点を当てたり、ある流派に焦点を当てたりすることが多い。前者を「点」で構成した展覧会、後者を「面」で構成した展覧会とするなら、本展は「線」で構成した展覧会といえそうだ。
本展の基本コンセプトは「線」だ。「線」が本展の展示方法やホームページの作り方を規定している。「線」は直線であったり、曲線であったり、ギザギザの線であったりするが、ともかく不可逆性のある「線」が基本だ。
このような展覧会の場合、わたしがいつも展覧会の感想のときに使っている方法(数点のとくに自分にとって意味のある作品を取り上げて、その感想を記す方法)では、本展の感想を語れないような気がする。では、どんな方法が有効か。
素直に自分の心の動きを辿るなら、最初は淡々と歩を進めていた。何点かの惹かれる作品はあったが、それはいつものことだ。ところが1935年のピカソの「ミューズ」(チラシの絵↑)の前に来たときに、これは悲しい絵だと思った。ピカソが愛人を孕ませ、妻との関係が破綻したときの作品。愛人はあどけなく眠っている。妻はその横で自画像を描いている。その妻の辛い気持ちを、ピカソは描いている。
あらためて年代を見ると、1935年。もしかすると本作には、ピカソの私生活の反映だけではなく、戦争前夜の緊迫した空気の影響もあるかもしれないと思った。
そう思って進むと、次の1936年はガルガーリョという人のブロンズ彫刻「預言者」だった。荒野で「悔い改めよ」と叫ぶ預言者ヨハネが、戦争に突き進む社会への警鐘のように感じられた。
次の1937年はカンディンスキーの「30」。カンディンスキー晩年のデザイン的な作品だが、白(青味がかった灰色)と黒とのモノトーンの作品であることが異色だ。同じモノトーンということで、ピカソの「ゲルニカ」を思い出した。「ゲルニカ」のパリ万博での公開も1937年だった。何らかの影響関係があるのか、ないのか。いずれにしても、緊迫する時代の空気が感じられて、思わず緊張した。
(2016.8.16.東京都美術館)
本展のHP