Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

佐藤紀雄/アンサンブル・ノマド

2016年08月28日 | 音楽
 サマーフェスティヴァル2016の佐藤紀雄/アンサンブル・ノマドの演奏会。今回は大ホールに会場を移した。小ホールの親密な雰囲気もよいが、大ホールになると、音に空間性が生まれるのが興味深く、演奏もクォリティが高かった。

 演奏された曲は4曲。先に作曲者を記すと、クロード・ヴィヴィエ(1948‐83)、マイケル・トーキー(1961‐)、武満徹(1930‐96)、リュック・フェラーリ(1929‐2005)。武満徹を除いて知らない作曲家ばかりだ。

 佐藤紀雄がプログラムに寄せた一文によると、これらの人たちは「単独者」であるとのこと(「単独者」という言葉は、「ただ一人だけで目的地に達する」使徒パウロからキルケゴールが敷衍させた言葉だそうだ)。

 20世紀の音楽は、ベリオ、シュトックハウゼン、ケージ、メシアン、ブーレーズなど「その時代の潮流を作った作曲技法における主義を確立した」作曲家たちに沿って解説されることが多いが、その一方で「自分の耳で聴き、自分の直感だけをたよりに模索しながら一歩一歩結果を求めていく人達がいた。」。そのような作曲家を「単独者」と呼びたいと。

 わたしはひじょうに美しい言葉だと思った。そして、そう呼ばれてみると、武満徹の位置付けというか、むしろその音楽の本質が、胸にストンと落ちるのを感じた。

 1曲目はヴィヴィエの「ジパング」。弦楽アンサンブルの曲。雅楽のような響きで始まるが、それだけに終始するのではなく、変化に富んだ音が続く。2曲目はトーキーの「アジャスタブル・レンチ」。3群のアンサンブルによるノリのよい曲。マリンバ奏者のセンスがいいなと思ったら、加藤訓子だった。

 3曲目は武満徹の「群島S.」。最晩年の作品だけあって、音に一切の無駄がない。蒸留された音の世界。ステージ上の3群のアンサンブルの他に、客席の左右に1本ずつクラリネットが配される。ステージ上の音に呼応する各クラリネット。モーツァルトやブラームスが最晩年になってクラリネットの音を好んだこととの共通点が感じらる。

 4曲目はフェラーリの「ソシエテⅡ‐そしてもしピアノが女体だったら」。破壊的で、かつユーモアたっぷりのライヴのための曲。最後にハイドンの交響曲第90番の結尾のような仕掛けがあった。

 アンコールに武満徹の「波の盆.」のテーマ音楽。没後20年のよい追悼になった
(2016.8.27.サントリーホール)
コメント (2)
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