Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ラザレフ/日本フィル

2017年10月22日 | 音楽
 昨日はエッシェンバッハ/N響とラザレフ/日本フィルを梯子した。世評高いエッシェンバッハ/N響だが(そしてわたしなりに書き留めるべきポイントがいくつかあったが)、率直にいって、圧倒的に面白かったのはラザレフ/日本フィルのほうだ。

 1曲目はショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番。ヴァイオリン独奏はボリス・ベルキン。若手の野心みなぎる演奏家の場合だと、アグレッシヴな演奏になりがちなこの曲だが、人生の年輪を重ねたベルキンの場合は、もっと落ち着いて、音をかみしめるような演奏になった。

 ベルキンとラザレフとのエピソード‥。二人はモスクワ音楽院の同窓生だそうだ。当時、モスクワ音楽院と東ベルリンの音楽大学とは交流があり、モスクワ音楽院の学生オーケストラが東ベルリンに演奏に行った。そのときの指揮がラザレフで、コンサートマスターがベルキンだった。

 そんな二人が偶然1年前に東京で出会った。今度日本フィルで一緒にやろうという話になり、今回の共演が実現した。二人の共演は本当に久しぶりだそうだ。(以上、日本フィルのHPに掲載されている山田治生氏のインタビューより)

 微笑ましい話だ。演奏は、いうまでもないが、老人の懐旧談ではなく、真摯そのもの。モスクワ音楽院でショスタコーヴィチの後姿を見て成長した二人の、師への想いが込められた演奏。

 話が前後するようだが、演奏が始まったとき、オーケストラの音がいつものラザレフ/日本フィルのショスタコーヴィチの音だと思った。誤解を招くといけないが、わたしにはその音は灰色の澄んだグラデーションを持つ美しいモノトーンの音に感じられる。今までの何曲ものショスタコーヴィチの交響曲の名演の記憶が蘇った。

 2曲目はチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。ショスタコーヴィチの後で聴くと、チャイコフスキーのオーケストレーションの、なんと色彩豊かなことか。まるで原色系のイルミネーションの点滅を見るようだった。

 演奏もすごかった。第1楽章の展開部など、通常の演奏の2割から3割増しのパワーと激しさと豪快さとがあったような気がする。それはラザレフが日本フィルを、平凡な演奏ではダメだ、演奏するからには、だれにも負けない演奏をしなければならないと、全力で鼓舞しているような感があった。そういう演奏でないと、聴衆には訴えないと。
(2017.10.21.横浜みなとみらいホール)
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