Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

リントゥ/都響

2017年11月09日 | 音楽
 ハンヌ・リントゥが指揮する都響のシベリウスの「クレルヴォ交響曲」は、劇的かつ雄渾な演奏。期待どおりの名演になった。リントゥの逞しい音楽性と、シベリウス初期の民族的な作風とがよくかみ合っていた。

 第1楽章の出だしは、オーケストラの音がまとまらなかったが、徐々に持ち直し、弦の音に厚みが出た。第2楽章では安定し、第3楽章以下は荒波が押し寄せるような奔放な演奏が繰り広げられた。なお、これはわたしの側の問題だが、久しぶりに聴く東京文化会館のデッドな音響に慣れるまでに時間がかかった。

 全5楽章のうち第3楽章と第5楽章には合唱が入るが、合唱はヘルシンキ工科大学の学生と卒業生とで構成するポリテク男性合唱団。85名ほどの大編成だった。音楽の山場での音圧がすごいが、それ以上に、フィンランド語の語感の美しさが印象的だった。日本語と同じような母音中心の音。

 第3楽章には2人の独唱者も入るが、歌手はメゾソプラノのニーナ・ケイテルとバリトンのトゥオマス・プルシオというフィンランド人。とくにプルシオの(同楽章最後での)身を振り絞るような劇的な歌唱には目を見張った。

 全体として、オーケストラも合唱も独唱も、モチベーションの高さが際立っていた。この演奏会がフィンランド独立100周年記念と位置付けられていることがその一因だったと思う。民族の血とか魂とか、そういう一般的な言葉では片付けられない、なにか特別な要素が感じられた。

 珍しいことだが、アンコールが予告されていた。シベリウスの交響詩「フィンランディア」。すっかり聴き慣れたこの曲が、「クレルヴォ交響曲」の後だと(しかもフィンランド独立100周年という文脈だと)、ものすごく新鮮に聴こえた。熱い、真摯な心情が迸り、名曲コンサートのときとは違って聴こえた。

 「フィンランディア」は合唱付で演奏された。フィンランド語の語感が澄んだ空気のように美しかった。

 余談だが、「クレルヴォ交響曲」は第3楽章を中心としたアーチ型の構成になっていると考えられるが、そこにはマーラーの影響があるのだろうか。時期的にはマーラーの交響曲第1番の初稿(ブダペスト版。「花の章」をふくむ全5楽章)の初演があった頃の作品だが。それとも、偶発的な、一回限りの類似性だろうか。
(2017.11.8.東京文化会館)
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