Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

インキネン/日本フィル

2017年11月18日 | 音楽
 インキネン/日本フィルの1曲目はラウタヴァーラRautavaara(1928-2016)の遺作(といってよいのかどうか‥、亡くなる前年の作品)「In the Beginning」。日本フィル他3団体の共同委嘱。

 7分程度の短い曲だが、湧き上がる雲海のような音型は、ラウタヴァーラ晩年の様式が刻印され、また中間部の美しい弦の旋律は、シベリウスの伝統が今も生きていることを感じさせる。

 2014年のサントリー芸術財団サマーフェスティヴァルで特集されたフランスの作曲家パスカル・デュサパンが、影響を受けた過去の作品として、シベリウスの交響詩「タピオラ」を選んだことが印象に残っている。シベリウスは、20世紀モダニズムの時代には、古臭い音楽として作曲の最前線から等閑視されていたように思うが、21世紀の今になって、デュサパンに限らず、シベリウスへの好みを表明する作曲家が出てきたようだ。

 今回のラウタヴァーラの曲では、前述したように、シベリウスの伝統が今も生きていることが感じられ、それは2人が同国人だからか、あるいは他国でも(たとえばデュサパンのように)同様の例があるのかと、思いをめぐらした。

 シベリウスの伝統というと、日本フィルもそうだ。いうまでもなく日本フィルには渡邉暁雄が築いたシベリウス演奏の伝統がある。それは日本フィルのDNAのようになって今も残っている。ラウタヴァーラの本作にはそのDNAに触れるものを感じた。

 だが、これは言わざるを得ないが、広瀬大介氏のプログラム・ノートに「呼吸のような緩急を繰り返しながら最強音へと達し、突然の終わりを迎える」と書かれている終結部分は、唐突に感じられた。なにかを断ち切るような終わり方。わたしの知る限りでは、ラウタヴァーラの作品は(とくに2000年前後からの晩年の作品では)余韻をもって終わる曲が多いので、本作の終わり方は異様に感じられた。

 2曲目はブルックナーの交響曲第5番。第7番、第8番と続いたインキネン/日本フィルのブルックナーは、明瞭な個性を獲得している。それは軽やかな音、華やぎのある音色、クリアな音像、シャープな造形、演奏が進むにつれて力感が増す(往年のドイツ系指揮者のような)演奏スタイルなどだ。

 それらは第5番にも表れ、個性の確立を感じさせたが、今回は最強音における金管の音の濁りが気になった。
(2017.11.17.サントリーホール)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする