メシアンのオペラ「アッシジの聖フランチェスコ」は、かつてわたしが「一度観てみたい」と思っていた念願のオペラだった。2011年7月にその念願が叶った。ミュンヘンのバイエルン州立歌劇場で上演されたので観にいった。指揮はケント・ナガノ。
だが、これは、かなりえぐい上演だった。演出その他一切を担当したヘルマン・ニッチュは、現代美術(というか、パフォーマンス)の世界では著名な人のようだが、そのニッチュが舞台上で受難劇を繰り広げた。その受難劇が刺激的でグロテスクだった。そのため肝心の音楽が疎かになった。
それに比べると、今回の演奏会形式上演のなんと美しかったことか。バイエルン州立歌劇場での上演がそのような演出であったことを割り引いても、演奏は今回のほうが精緻で完璧だった。カンブルランが時間をかけてオーケストラを整えたことが明瞭に伝わってきた。
明るく、艶があり、暖かい音は、カンブルランの美質だが、その音が終始一貫して鳴り渡り、またリズムが鋭く研ぎ澄まされていた。結果、透明で濁りのない音の世界が展開し、けっして崩れなかった。カンブルランが2010年4月に読響の常任指揮者に就任して以来7年余り、その達成のなんという高みか。
聖フランチェスコを歌ったヴァンサン・ル・テクシエは、たとえば(同役を創唱した)ホセ・ファン・ダムのような美声はないが、滋味のある歌唱だった。そして何よりも、長大なこのオペラ(第1幕約75分+第2幕約120分+第3幕約65分=合計約260分)のほとんどの場面で出番のある同役を歌いきったことに感服。
天使の役を歌ったエメーケ・バラートは、嬉しい発見だった。明るく澄んだ声(バロックオペラ畑の人らしい)が同役のイメージにぴったり。前述のバイエルン州立歌劇場の上演ではクリスティーネ・シェーファーが歌い、同上演での一服の清涼剤のような印象だったが、今回のバラートには若い人の持つ声の暖かさがあった。
合唱は新国立劇場合唱団とびわ湖ホール声楽アンサンブル。ほとんど聴こえないくらいの最弱音のハミングから最強音の大合唱まで、よくコントロールされていた。
3台のオンド・マルトノは、ステージ後方のPブロック背後に1台、客席左右のLBブロック背後とRBブロック背後に各1台が配置されたので、それらの音の動きが聴き取りやすくて効果的だった。
(2017.11.19.サントリーホール)
だが、これは、かなりえぐい上演だった。演出その他一切を担当したヘルマン・ニッチュは、現代美術(というか、パフォーマンス)の世界では著名な人のようだが、そのニッチュが舞台上で受難劇を繰り広げた。その受難劇が刺激的でグロテスクだった。そのため肝心の音楽が疎かになった。
それに比べると、今回の演奏会形式上演のなんと美しかったことか。バイエルン州立歌劇場での上演がそのような演出であったことを割り引いても、演奏は今回のほうが精緻で完璧だった。カンブルランが時間をかけてオーケストラを整えたことが明瞭に伝わってきた。
明るく、艶があり、暖かい音は、カンブルランの美質だが、その音が終始一貫して鳴り渡り、またリズムが鋭く研ぎ澄まされていた。結果、透明で濁りのない音の世界が展開し、けっして崩れなかった。カンブルランが2010年4月に読響の常任指揮者に就任して以来7年余り、その達成のなんという高みか。
聖フランチェスコを歌ったヴァンサン・ル・テクシエは、たとえば(同役を創唱した)ホセ・ファン・ダムのような美声はないが、滋味のある歌唱だった。そして何よりも、長大なこのオペラ(第1幕約75分+第2幕約120分+第3幕約65分=合計約260分)のほとんどの場面で出番のある同役を歌いきったことに感服。
天使の役を歌ったエメーケ・バラートは、嬉しい発見だった。明るく澄んだ声(バロックオペラ畑の人らしい)が同役のイメージにぴったり。前述のバイエルン州立歌劇場の上演ではクリスティーネ・シェーファーが歌い、同上演での一服の清涼剤のような印象だったが、今回のバラートには若い人の持つ声の暖かさがあった。
合唱は新国立劇場合唱団とびわ湖ホール声楽アンサンブル。ほとんど聴こえないくらいの最弱音のハミングから最強音の大合唱まで、よくコントロールされていた。
3台のオンド・マルトノは、ステージ後方のPブロック背後に1台、客席左右のLBブロック背後とRBブロック背後に各1台が配置されたので、それらの音の動きが聴き取りやすくて効果的だった。
(2017.11.19.サントリーホール)