Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

椿姫

2017年11月24日 | 音楽
 新国立劇場が制作し、2015年5月にプレミエを出した「椿姫」は、古色蒼然とした保守的なプロダクションが多い同劇場としては、例外的に現代的なプロダクションだった。今それが再演されているので、2度目になるが、観にいった。

 やはりすばらしいプロダクションだ。ヨーロッパの主要劇場でも通用する。東京は世界の主要都市の一つなので、本来そこの国立劇場が制作するものは、すべて世界に通用するものであってほしいが、なかなかそうはならないので、この「椿姫」は貴重だ。

 第1幕と第2幕では、床面と舞台下手側の壁面とが鏡面になっていて、それらによるシルエットの乱反射が、複雑で、目眩を起こしそうな非現実感を生み出す。ところが第2幕のフィナーレでアルフレードがヴィオレッタに札束を投げつけると、壁面が後ろに倒れて、真っ暗な空間が現出し、そこに雪のように無数の紙幣が舞う。

 特筆すべきは第3幕。ヴィオレッタ以外の登場人物はすべて紗幕のカーテンの向こうにいる。ヴィオレッタに触れることはできない。臨終を迎えたヴィオレッタがアルフレードに渡そうとする肖像画の入ったペンダント(当演出では白い椿)は、ついにアルフレードの手に渡ることなく、ヴィオレッタの手からこぼれ落ちる。だれにも理解されなかったヴィオレッタの人生が終わる。

 全体はデュマ・フィスの原作のモデルになった高級娼婦マリー・デュプレシ(1824‐1847)への追悼がコンセプト。第1幕への前奏曲が始まると、デュプレシの墓碑銘(パリのモンマルトルの墓地にある)が投影される。また全幕を通してデュプレシを象徴する「19世紀半ばに使われていた実際のピアノ」(ヴァンサン・ブサールの演出ノート)が登場する。デュプレシを通して、現代の女性へ(そして男性へも)男性社会の中で生きる道を問いかける。

 ヴィオレッタを歌ったのはイリーナ・ルング。ミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場その他で同役を歌っているだけあって、切れ味のよい歌唱。アルフレード役のアントニオ・ポーリは2015年のプレミエのときも出演した歌手。安定している。ジェルモン役のジョヴァンニ・メオーニも堅実。

 指揮のリッカルド・フリッツァは久しぶりの登場。東京フィルから神経の行き届いた、繊細で、しなやかな演奏を引き出した。今回の公演の功労者の一人。しばらく見ないうちに少し太って、貫禄がついてきた。
(2017.11.23.新国立劇場)
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