Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

わたしは、幸福(フェリシテ)

2017年12月28日 | 映画
 樋口裕一氏のブログに惹かれて、映画「わたしは、幸福(フェリシテ)」を観にいった。映画に行くのは久しぶり。観たい映画はいくつかあったが、ほとんど見逃した。出不精になっている。

 この映画を観にいったのは、アフリカが舞台だから。コンゴ民主共和国(旧ザイール)の首都キンシャサが舞台の物語。場末のバーの歌手フェリシテの息子が、交通事故に遭う。電話を受けて病院に駆け付けたフェリシテに、医師はいう。「金を払わなければ、手術はできない」と。

 フェリシテはキンシャサ中を奔走する。親戚はもちろん、前に金を貸したのに返してくれない男や女、さらには別れた夫、そして見ず知らずの金持ちの家まで訪問する(訪問するというよりは、押しかけるといったほうがよい)。なりふり構わず金を求めるフェリシテにたいして、人々は優しくない。だが、フェリシテも必死だ。けっしてめげない。

 その過程でフェリシテの人間性が浮かび上がる。膝を屈して懇願したりはしない。恵みを乞うようなこともしない。誇り高いというよりも、むしろ世間と妥協することを知らず、自分を押し通す、といったほうがよい。今の日本では生きていくのが難しいタイプ。わたしはそんなフェリシテに惹かれていった。

 フェリシテが生きていけるのは、キンシャサだから。貧しく、猥雑で、不正がまかり通るキンシャサ。だれもが他人のことなど忖度せず、自分流に生きている。そんな社会が生々しく描かれる。この映画の主人公は、フェリシテであるのと同等に、むしろそれ以上に、キンシャサかもしれない。

 前述したとおり、フェリシテはバーの歌手という設定だが、その音楽を担当しているのは、カサイ・オールスターズというバンド。著名なバンドのようで、日本にも何度か来たことがあるそうだ。汗と酒の匂いを発散する強烈な音楽。

 一方、ストーリーの展開とは無関係に、キンバンギスト交響楽団というアマチュア・オーケストラが、倉庫のような場所で、アルヴォ・ペルトの「フラトレス」その他を演奏する場面が挿入される。けっしてうまくはないが、カオスのようなキンシャサに、ペルトの静謐な音楽を演奏する人々がいるという意外性。

 フェリシテが夜の森の中を歩む幻想的な場面が挿入される。そこに突然現れるオカピという優しい目をした動物は、シャガールの絵の中の馬のように見えた。
(2017.12.26.ヒューマントラストシネマ有楽町)
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