Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

佐多稲子「私の東京地図」

2018年02月06日 | 読書
 昨年11月に長崎県美術館を訪れ、池野清の遺作2点に感銘を受けたことがきっかけとなって、それらの遺作をテーマにした佐多稲子の短編小説「色のない画」と長編小説「樹影」を読み、またその関連で「私の長崎地図」を読む中で、わたしは佐多稲子にすっかり惹きこまれた。

 引き続き、ほとんど予備知識もなく、「時に佇つ」を読み始めた。しばらく読むうちに、畏れに似た思いを抱いた。これは生半可な気持ちで読むべき作品ではないと思った。全12章からなるその作品のうち、半分ほどを読んだところで、わたしはいったん本を閉じた。わたしにはまだこの作品を読む準備ができていないと感じた。

 そこで、代わりに「私の東京地図」を手に取った。少しページを繰ってみると、それが「私の長崎地図」の姉妹作であり、「私の長崎地図」のその後の、佐多稲子が11歳で東京に出てから、すぐに働き始めた人生を書いたものであることが分かった――それは予想通りでもあったが――。それと同時に、そこで書かれていることの中には、晩年の「時に佇つ」で凝縮され、結晶化する素材が含まれていることを直覚した。

 「私の東京地図」を読み終えたわたしは、ますます佐多稲子に魅せられた。佐多稲子のなにに魅せられたのかと自問すると、それはまず文体だ。簡潔で、抑制的で、けっして読者の感情を煽らない文体。本来はどこかの一節を引用するとよいのだが、まとまった量を引用する必要がありそうで、そうなると長くなので、今は諦めるが。

 そのような文体が生まれるのは、佐多稲子の感性がそうであるからだろう。大事なことをポツンという。説明をしないで、ポツンという。そこに佐多稲子の感じていることのすべてが込められている。その底にあるものが分かるかどうかは、読者の側の問題、という厳しさがある。

 本作の中で忘れられない場面が三つあった。人それぞれ感じ方が違うから、具体的にどの場面と指すことは控えるが、それらの場面はわたしに傷口のようになって残った。ひりひり痛む佐多稲子の感性がそこにあった。

 わたしは講談社文芸文庫で読んだが、その巻末に佐多稲子(当時は田島イネ)の尋常小学校3年の頃の写真が載っていた。弟と叔父と佐多稲子との3人が並んだ写真。そこに写っている佐多稲子は聡明そうだ。まっすぐなにかを見据えている。羽毛が震えるような感性が表れているように感じた。

 わたしは「時に佇つ」を読む準備ができたように思った。
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