佐多稲子(1904‐1998)の「私の東京地図」(1949)を読み終えたわたしは、あらためて「時に佇つ」(1976)を読み始めた。すでに「時に佇つ」の半分ほどを読んでいたので、その部分は再読になった。今度は「私の東京地図」を読んだ後なので、そこに書かれている出来事が鮮明に分かった。
「時に佇つ」は12章からなる短編集。1975年1月号から12月号までの「文芸」に連載され、翌年、単行本として刊行された。各章は独立しているが、いずれも佐多稲子が過去の出来事を振り返り、その意味を噛みしめるもの。想い出というよりも、人生の省察というほうがふさわしい作品。
全12章の内「その十一」は同年の川端康成文学賞を受賞した。かつての結婚相手、窪川鶴次郎の逝去に当たっての想いを書いた作品。陰影の濃やかさの点では、たしかにこの作品は優れている。別の言い方をすれば、全12章が結晶のように透徹した美しさを基調とする中で、「その十一」はもっとも小説的だ。
だが、今回わたしは「その四」に強い印象を受けた。佐多稲子が戦時中に前線の兵隊への慰問に出かけたときの出来事を書いたもの。その書き出しはこうなっている。
「その操作にどれほどの意味があるのか、しかしある日ふいに過去が結びついてくれば、私はやはりそれを探らねばならない。ふいに戻ってきた過去は、それなりの推移をもって、その推移のゆえに新たな貌をしている。また、そこに在るのが私だけでもない。それらのことが私を引込む。過ぎた年月というものは、ある情況にとっては、本当に過ぎたのであろうか。」
そして、戦地への慰問のことが回想され、それが戦争責任の問題とも絡んで、佐多稲子の苦い自責の念となる。年月の厚みから蒸留されたその出来事と、今も生々しい自責の念とが、それを読むわたしの胸に沁みる。
「その四」からもう一箇所引用してみよう。
「身体の衰えについての実感とは別のところで年月の感覚は希薄になる。深く浸透した思いがそのまま持続されるのも、老年の固執ではなくて、時間の短絡にもよっている。そしてまた、三十数年前がふいに今日に結びついてくるということが一方にあるのも、私の年齢になって出会うことでもある。過ぎたことは案外に近い。」
書き出しと似た内容だが、このくだりは「時に佇つ」全体の性格を言い表しているように思う。その不均一な時間感覚が、わたしも分かる年齢になってきた‥。
「時に佇つ」は12章からなる短編集。1975年1月号から12月号までの「文芸」に連載され、翌年、単行本として刊行された。各章は独立しているが、いずれも佐多稲子が過去の出来事を振り返り、その意味を噛みしめるもの。想い出というよりも、人生の省察というほうがふさわしい作品。
全12章の内「その十一」は同年の川端康成文学賞を受賞した。かつての結婚相手、窪川鶴次郎の逝去に当たっての想いを書いた作品。陰影の濃やかさの点では、たしかにこの作品は優れている。別の言い方をすれば、全12章が結晶のように透徹した美しさを基調とする中で、「その十一」はもっとも小説的だ。
だが、今回わたしは「その四」に強い印象を受けた。佐多稲子が戦時中に前線の兵隊への慰問に出かけたときの出来事を書いたもの。その書き出しはこうなっている。
「その操作にどれほどの意味があるのか、しかしある日ふいに過去が結びついてくれば、私はやはりそれを探らねばならない。ふいに戻ってきた過去は、それなりの推移をもって、その推移のゆえに新たな貌をしている。また、そこに在るのが私だけでもない。それらのことが私を引込む。過ぎた年月というものは、ある情況にとっては、本当に過ぎたのであろうか。」
そして、戦地への慰問のことが回想され、それが戦争責任の問題とも絡んで、佐多稲子の苦い自責の念となる。年月の厚みから蒸留されたその出来事と、今も生々しい自責の念とが、それを読むわたしの胸に沁みる。
「その四」からもう一箇所引用してみよう。
「身体の衰えについての実感とは別のところで年月の感覚は希薄になる。深く浸透した思いがそのまま持続されるのも、老年の固執ではなくて、時間の短絡にもよっている。そしてまた、三十数年前がふいに今日に結びついてくるということが一方にあるのも、私の年齢になって出会うことでもある。過ぎたことは案外に近い。」
書き出しと似た内容だが、このくだりは「時に佇つ」全体の性格を言い表しているように思う。その不均一な時間感覚が、わたしも分かる年齢になってきた‥。