Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

佐多稲子「夏の栞-中野重治をおくる-」

2018年02月24日 | 読書
 昨年の秋に長崎県美術館を訪れ、池野清(1914‐1960)の遺作2点に感銘を受けたことがきっかけになって、わたしはそれらの遺作が生まれるドラマを書いた佐多稲子(1904‐1998)の「色のない画」(1961)を、そして「樹影」(1972)を読んだ。また、それとの関連で「私の長崎地図」(1948)を読んだ。

 次第に池野清の遺作から離れて、佐多稲子の文学に惹かれていったわたしは、次に「時に佇つ」(1976)を読み始めた。半ばまで読んで、その結晶のように透徹した美しさに打たれると同時に、まだこれを読む準備ができていない自分を感じた。わたしは読むのを中断して、代わりに「私の東京地図」(1949)を読んだ。

 これで準備ができたと思ったので、再び「時に佇つ」を読み始めた。今度は鮮明に分かった。それは特別な読書体験になった。そしてもう一作、「夏の栞-中野重治をおくる-」(1983)を手に取った。じつは友人と続けている読書会が近づいてきたので、その準備をしなければならないのだが、その前に本作を読んでおきたかった。

 わたしは驚いた。1979年に中野重治が倒れてから、亡くなるまでの1か月ほどの出来事と、葬儀が終わってから、中野重治の想い出と、それに重なる佐多稲子自身の過去とを振り返るのが本作だが、その回想はきれいごとに終わるのではなく、自らの傷口に触れる苦渋に満ちたものだったから。

 本作は「新潮」の1982年1月号から12月号まで連載された(単行本の刊行は1983年)。連載当時、佐多稲子は78歳。一般的には高齢の部類に入ると思うが、その佐多稲子が、7年前の「時に佇つ」で静的な人生の観照に至ったにもかかわらず、本作でもう一度過去を掘り返している。

 繰り返すが、「時に佇つ」できれいに切り取った過去を、本作では、もう一度、あのときはどうだったかと、自分に都合の悪いことも抉り出すことに、わたしは作家の“業”のようなものを感じた。作家とは因果なものだ、と。

 本作で特徴的な点は、登場人物(実在の人物)が「時に佇つ」や「私の東京地図」では偽名で出てくるのに対して、本作では実名で出てくること。その観点からは、昭和史の一断面を見る思いがしたが、それは皮相な読み方であって、むしろ、佐多稲子はなぜ実名で書いたのか、という問いを(自分に向けて)発するほうが大事なように思った。その答えは本作の本質に触れるかもしれないから。
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