Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

松風

2018年02月19日 | 音楽
 2013年2月のことだが、ベルリン州立歌劇場で細川俊夫のオペラ「松風」が再演されたので観に行った。早めに劇場に着いたので、外で開場を待っていたら、細川ご夫妻の姿をお見かけした。

 ほとんど予備知識もなく、原作の謡曲を読んだだけで臨んだその公演は、現代的な激しい身体表現のダンス中心だったので、“オペラ”を予想していたわたしは面喰った。どこをどう捉えたらよいのか、うまくつかめないまま終わった。

 だが、2度目になる今回は、ベルリン州立歌劇場での経験が生きているのだろう、なんの戸惑いもなく、ダンスと、オペラと、舞台美術とが一体となったそのプロダクションを受け入れることができた。

 ダンスの側からオペラを再解釈・再構成する試みは、最近のオペラ上演の一つの潮流だと思うが、本作がその成功例であることは間違いなく、さらにいえば、ダンスとオペラとの一体感の点では、傑出した成功作だろう。創作当初から細川俊夫とサシャ・ヴァルツとが協働した成果が出た。これはオペラなのか、ダンスなのか、という思いはあるが、それはむしろ、このような方向性が目指すものを表す言葉が、わたしたちにはまだないということかもしれない。

 今回感じたことは3点あった。まずオーケストラの表現力。それは細川俊夫の音楽のことでもあるが、今回はベルリンのときより格段に豊かなニュアンスが感じられた。指揮者は同じデヴィッド・ロバート・コールマンだが、今回の東京交響楽団からは“わび・さび”という言葉がふさわしい寂寥感が漂った。

 2点目はタイトルロールを歌ったイルゼ・エーレンスに好感を持ったこと。ベルリンではバーバラ・ハンニガンが歌ったが、ハンニガンの強烈な個性に対して、エーレンスの場合は、妹の村雨役のシャルロッテ・ヘッレカント(ベルリンでも同じ歌手)との2重唱が美しく響いた。そうか、細川俊夫はこういう音楽を書いたのか、と思った。

 3点目は新国立劇場の舞台の大きさ。ベルリンのシラー劇場に比べて、間口、高さそして奥行きが一回り大きいため、蜘蛛の巣のような塩田千春のインスタレーションが一層映え、また須磨の汐汲み小屋を模した舞台装置も存在感を増した。

 加えて、新国立劇場の大空間を、細川俊夫のオーケストレーションが(1管編成が基本の比較的小規模なものにもかかわらず)地鳴りのように揺るがすことが壮観だった。
(2018.2.18.新国立劇場)
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