藤倉大(1977‐)のオペラ「ソラリス」の日本初演。本作が2015年にパリのシャンゼリゼ劇場で初演されたときは、どんなオペラだろうと思った。今回は演奏会形式だが、ともかくその台本と音楽に接することができた。
原作はスタニスワフ・レム(1921‐2006)の同名作だが、それを勅使川原三郎が台本化した。勅使川原三郎というとダンスのイメージが頭に浮かぶので、台本作成には驚いた。勅使川原はシャンゼリゼ劇場での初演で、演出、振付、美術、照明、衣装のすべてを担当したので、その関係で台本を書いたのかもしれない。
インターネットでスコアを閲覧できたので、事前に台本を読んだが、それを読んだときには、原作の精神をはずしていない点に感心した。いうまでもなく原作はSF小説だが、その哲学的な含意はSF小説の範疇を超えて、20世紀文学の傑作の一つとされる。台本はその精神を的確に切り取った。
では、その精神とはなにか。原作は多様な読みを許容するが、勅使川原が切り取ったのは、ケルヴィンとハリーの愛だ。でも、その愛は普通の愛ではない――。
ケルヴィンは惑星ソラリスの観測ステーションに降り立つ。そこに10年前に自殺した妻ハリーが現れる。ハリーの自殺に自責の念をもつケルヴィンは狼狽する。じつはそのハリーは、ほんとうのハリーではなく、惑星ソラリスが作り出したコピーだった。惑星ソラリスは巨大な海でおおわれているが、その海は高度な知能をもつ単体の生命体らしい。その海がケルヴィンの記憶の中を読み取り、ハリーのコピーを作り出した。
自分がコピーだとわかって苦悩するハリー。その苦悩を見つめるケルヴィンは、コピーのハリーへの(新たな)愛に目覚める。だが、その愛は可能なのだろうか――。
今回藤倉が付けた音楽は、台本の行間を埋め、緩急を付けて、緊密な室内オペラに仕立てた。閉鎖された空間で展開する心理劇になっている。原作はすでに2度映画化されているが、レムはそのどちらにも不満だった。原作の翻訳者・沼野充義氏は、「もし彼(引用者注:レム)が生きていてこれ(同:今回のオペラ)を観たら、驚嘆するに違いない。」(プログラムより)という。
その一方で、ソラリスの「海」はどこかに置き去りにされた。ライブ・エレクトロニクスによる音の変調や青い照明では、「海」の他者性は表現できない。今後舞台化するときの課題だろう。
(2018.10.31.東京芸術劇場)
原作はスタニスワフ・レム(1921‐2006)の同名作だが、それを勅使川原三郎が台本化した。勅使川原三郎というとダンスのイメージが頭に浮かぶので、台本作成には驚いた。勅使川原はシャンゼリゼ劇場での初演で、演出、振付、美術、照明、衣装のすべてを担当したので、その関係で台本を書いたのかもしれない。
インターネットでスコアを閲覧できたので、事前に台本を読んだが、それを読んだときには、原作の精神をはずしていない点に感心した。いうまでもなく原作はSF小説だが、その哲学的な含意はSF小説の範疇を超えて、20世紀文学の傑作の一つとされる。台本はその精神を的確に切り取った。
では、その精神とはなにか。原作は多様な読みを許容するが、勅使川原が切り取ったのは、ケルヴィンとハリーの愛だ。でも、その愛は普通の愛ではない――。
ケルヴィンは惑星ソラリスの観測ステーションに降り立つ。そこに10年前に自殺した妻ハリーが現れる。ハリーの自殺に自責の念をもつケルヴィンは狼狽する。じつはそのハリーは、ほんとうのハリーではなく、惑星ソラリスが作り出したコピーだった。惑星ソラリスは巨大な海でおおわれているが、その海は高度な知能をもつ単体の生命体らしい。その海がケルヴィンの記憶の中を読み取り、ハリーのコピーを作り出した。
自分がコピーだとわかって苦悩するハリー。その苦悩を見つめるケルヴィンは、コピーのハリーへの(新たな)愛に目覚める。だが、その愛は可能なのだろうか――。
今回藤倉が付けた音楽は、台本の行間を埋め、緩急を付けて、緊密な室内オペラに仕立てた。閉鎖された空間で展開する心理劇になっている。原作はすでに2度映画化されているが、レムはそのどちらにも不満だった。原作の翻訳者・沼野充義氏は、「もし彼(引用者注:レム)が生きていてこれ(同:今回のオペラ)を観たら、驚嘆するに違いない。」(プログラムより)という。
その一方で、ソラリスの「海」はどこかに置き去りにされた。ライブ・エレクトロニクスによる音の変調や青い照明では、「海」の他者性は表現できない。今後舞台化するときの課題だろう。
(2018.10.31.東京芸術劇場)