Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ボナール展

2018年11月04日 | 美術
 オルセー美術館所蔵のピエール・ボナール(1867‐1947)の作品は、過去に何度か日本に来たことがあるが、いずれも「ナビ派」の括りで来たように思う。今回はボナールだけで構成した展覧会。日本の美術館が所蔵する作品で補完して、ボナールの画業を辿っている。

 ボナールはナビ派の一員として登場したが、とくに主義主張にとらわれずに、感性の赴くままに制作したように見える。初期の暗い演劇的な作品を別にして、それ以降の作品は、とくに作風の変化は見られず、また一つの作風を突き詰めた様子でもなく、その時々の感性に従って描いたように見える。

 チラシ(↑)に使われている作品は「猫と女性 あるいは 餌をねだる猫」(1912年頃)。暖色系の色彩、愛する女性(恋人のマルト)、いたずらっ子の猫という具合に、幸福な日常を描いていると、とりあえずはいえるが、本作を実際に見ると、女性の目のあたりが陰になっていることが気になる。

 マルトは神経を病んでいたといわれる。たしかに本作のマルトは、病気のように見える。病気の女性を愛したところに、ボナールの繊細さが感じられる。ボナールがマルトと出会ったのは1893年。マルトはボナールの恋人となり、2人は1925年に正式に結婚。ボナールはマルトが1942年に亡くなるのを看取った。

 チラシに使われたのは作品の一部だが、本作を実際に見ると、手前のテーブルの大きさが印象的だ。作品の中心はマルトにちがいなく、そこに添えられた猫も目立つが、実際にはテーブルがマルトと同等の存在感をもっている。

 その構図を発展させたのが「ル・カネの食堂」(1932年)だろう(※)。画面の前景を大きなテーブルが占め、その左奥にマルトがいるが、マルトは画面の中心とはいえず、中心はテーブルになっている。テーブルには皿や瓶や小箱がとりとめもなく置かれているが、そのいずれも画面の中心とはいえない。あえていえば赤い小箱が目立つが、中心というには頼りない。猫もいるが、ほとんど目立たない。

 中心の喪失、あるいは中心部の空白は、他の作品にも類例が見られ、オールオーバーの画面構成の先駆けのように見えた。

 また「ル・カネの食堂」はクリーム色とオレンジ色のハーモニーが心地よい。それと同様に「トルーヴィル、港の出口」(1936‐45年)は黄色と灰色のハーモニーが美しい(※)。
(2018.11.2.国立新美術館)

(※)「ル・カネの食堂」と「トルーヴィル、港の出口」の画像(本展のHP)
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