ヘンリク・ナナシは1975年ハンガリー生まれ。ベルリン・コーミッシェ・オーパーの音楽監督を務めていたので、その名前は目にしていたが、演奏を聴くのは初めてだ。1曲目はコダーイの「ガランタ舞曲」。名刺代わりの曲目かもしれないが、演奏は肩に力が入っていた。
2曲目はサン=サーンスのピアノ協奏曲第5番「エジプト風」。ピアノ独奏はリュカ・ドゥバルグLucas Debargueという1990年生まれのフランス人。第3楽章が「あれッ、この曲ってこんなにヴィルトゥオーソ的な曲だっけ」と驚くような猛烈な演奏。勢いがすさまじいが、音楽は荒れない。若くて才能あるピアニストの、その若さと技量、そして音楽性が楽しめた。
アンコールにサティの「グノシエンヌ」第1番が弾かれた。明瞭な音像で曖昧さは一切なく、微妙な揺れをつけたフレージングが、なかなか個性的だった。
3曲目はバルトークの「管弦楽のための協奏曲」。「ガランタ舞曲」で感じた力みはこの曲では消え、静かに沈潜する音から、張りのある輝かしい音まで、多彩な音色が繰り広げられた。それはナナシの力量だろうが、それと併せて、ニュアンス豊かなその音には、カンブルランが読響に残した遺産が感じられた。
ナナシの演奏には、たとえばハープの音とか、管楽器の埋もれがちな音とか、そんな音の動きがはっきり聴こえることがあり、それがおもしろかった。意図的にそうしているわけではなく、すべての音をナナシが聴きとって、それをそのまま提示している、そんな趣があった。第2楽章はもちろんだが、それ以外の楽章でも、木管や金管の2番奏者、3番奏者の音がはっきり聴こえたのも同種の例だ。
全体としてはオーソドックスだ。デフォルメとか、極端なテンポ設定とか、そういったレベルで個性を打ち出すタイプではない。急速な部分ではスリル満点だが、それも全体のがっしりした構成の中に納まっている。民族的とか、近代的とか、そんな色で塗り立てずに、自然体でスコアと向き合い、自分(ナナシ)という濾過器を通して滲み出た音楽を提示した感がある。
ナナシは2018年3月に読響初登場の予定だったが、急病でキャンセルになったので、そのリベンジが今回の定期だ。今回はお国もののコダーイとバルトークを振ったが、2018年3月にはブゾーニやリヒャルト・シュトラウスをプログラムに組んでいた。そういう濃いプログラムもよさそうだ。
(2019.7.11.サントリーホール)
2曲目はサン=サーンスのピアノ協奏曲第5番「エジプト風」。ピアノ独奏はリュカ・ドゥバルグLucas Debargueという1990年生まれのフランス人。第3楽章が「あれッ、この曲ってこんなにヴィルトゥオーソ的な曲だっけ」と驚くような猛烈な演奏。勢いがすさまじいが、音楽は荒れない。若くて才能あるピアニストの、その若さと技量、そして音楽性が楽しめた。
アンコールにサティの「グノシエンヌ」第1番が弾かれた。明瞭な音像で曖昧さは一切なく、微妙な揺れをつけたフレージングが、なかなか個性的だった。
3曲目はバルトークの「管弦楽のための協奏曲」。「ガランタ舞曲」で感じた力みはこの曲では消え、静かに沈潜する音から、張りのある輝かしい音まで、多彩な音色が繰り広げられた。それはナナシの力量だろうが、それと併せて、ニュアンス豊かなその音には、カンブルランが読響に残した遺産が感じられた。
ナナシの演奏には、たとえばハープの音とか、管楽器の埋もれがちな音とか、そんな音の動きがはっきり聴こえることがあり、それがおもしろかった。意図的にそうしているわけではなく、すべての音をナナシが聴きとって、それをそのまま提示している、そんな趣があった。第2楽章はもちろんだが、それ以外の楽章でも、木管や金管の2番奏者、3番奏者の音がはっきり聴こえたのも同種の例だ。
全体としてはオーソドックスだ。デフォルメとか、極端なテンポ設定とか、そういったレベルで個性を打ち出すタイプではない。急速な部分ではスリル満点だが、それも全体のがっしりした構成の中に納まっている。民族的とか、近代的とか、そんな色で塗り立てずに、自然体でスコアと向き合い、自分(ナナシ)という濾過器を通して滲み出た音楽を提示した感がある。
ナナシは2018年3月に読響初登場の予定だったが、急病でキャンセルになったので、そのリベンジが今回の定期だ。今回はお国もののコダーイとバルトークを振ったが、2018年3月にはブゾーニやリヒャルト・シュトラウスをプログラムに組んでいた。そういう濃いプログラムもよさそうだ。
(2019.7.11.サントリーホール)