Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

タンスマンへの感謝と抉別

2019年07月24日 | 音楽
 野平一郎指揮オーケストラ・ニッポニカの定期は「タンスマンへの感謝と抉別」と題して、アレクサンドル・タンスマン(1897‐1986)と松平頼則(まつだいら・よりつね)(1907‐2001)の出会いに焦点を当てた。

 タンスマンはポーランド人だが、1919年にパリに行き、ラヴェル、「フランス六人組」、プロコフィエフ、ストラヴィンスキーその他多くの音楽家たちと交流を持った。だが、ナチス・ドイツの侵攻のため、パリを逃れてアメリカに渡り、第二次世界大戦が終わった1946年、フランスに帰国して、同地で亡くなった。

 タンスマンが来日したのは1933年3月。約2週間滞在して「3回の室内楽演奏会、生放送による『ピアノ協奏曲第2番』(1927)の新交響楽団(現・NHK交響楽団)との共演、自作歌曲のレコーディングや、作曲家たちとの交流を行って、来日はセンセーショナルな出来事となりました。」(奥平一氏のプログラム・ノート)。

 そのときのレセプションの記念写真がプログラムに載っていた。タンスマンを中心に、その周りを松平頼則、箕作秋吉、大田黒元雄、大木正夫、橋本國彦、古関裕而、清瀬保二らが囲んでいる。

 タンスマンの曲は、今ではあまり演奏されないが、2015年5月の都響の定期でオレグ・カエターニ指揮で「フレスコバルディの主題による変奏曲」(1937)が演奏されたことが記憶に新しい。わたしはその演奏会を楽しみにしていたが、体調が悪くなり、行けなかったので、かえってよく覚えている。そのときはタンスマン自身の編曲による弦楽合奏版が演奏された。今回のオーケストラ・ニッポニカではオリジナルの管弦楽版が日本初演された。

 今回タンスマンの曲はもう一曲、交響曲第2番(1926)が演奏された。この曲はタンスマンが来日した1933年の9月に新交響楽団(現・NHK交響楽団)の定期で、ニコライ・シフェルブラットの指揮により演奏されたそうだ。この曲にはオレグ・カエターニ指揮メルボルン交響楽団の音源があるので、わたしは事前に聴いていったが、今回のオーケストラ・ニッポニカの演奏の方が、この曲がどんな曲か、よくわかった。フランス六人組的な明るさと活気に東欧的な音調が絡む曲。今なお聴く価値のある曲だと思った。

 プログラム・ノートに「松平の『ピアノ・ソナタ』(1949)の第二楽章と第三楽章の楽想は、タンスマン『交響曲第二番』のそれぞれ第二楽章と第三楽章を連想させます。」とあったので、翌日その音源を聴いてみた。たしかにそうかもしれない。松平はその後「タンスマンへの感謝と抉別」を宣言して、雅楽の方向に進んでいく。
(2019.7.21.紀尾井ホール)

(追記)
 当日、松平頼則の曲は「パストラール」(1935)と「ピアノと管弦楽のための主題と変奏」(1951)(ピアノ独奏:秋山友貴)が演奏された。
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