Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

アラン・ギルバート/都響

2019年07月26日 | 音楽
 アラン・ギルバート/都響のモーツァルトとブルックナーのプログラム。今までこのコンビでは聴いたことのないレパートリーなので、新味があった。

 まずモーツァルトの交響曲第38番「プラハ」。小宮正安氏がプログラム・ノートで「後年のオペラ『ドン・ジョヴァンニ』における死の場面を彷彿させる不気味な曲想が徐々に立ち現れてくる序奏」と書いていたが、まさに「ドン・ジョヴァンニ」的な濃い演奏。この曲はプラハで初演されたので「プラハ」のニックネームを持つが、作曲の動機はプラハとは無関係らしい。だが、「プラハ」のニックネームを持つゆえに、後続の「ドン・ジョヴァンニ」と結びつく運命を背負った曲だ。

 序奏が終わって主部に入ってからは、がっしりした構えのなかに、強弱のコントラストがくっきりつけられ、快調なテンポで、無意識に流れることなく、つねにはっきりした意思が貫かれた演奏になった。大柄といえば大柄だが、大柄という言葉につきまとう空虚なイメージはなく、中身がギュッと詰まった演奏だ。

 次はブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」(ノヴァーク:1878/80年版。もっとも一般的に演奏される版)。冒頭の弦のトレモロが、ほとんど聴こえるか聴こえないかというくらいの弱音で始められ、そのトレモロに乗ってホルンが第1主題を吹くが、そのホルンに瑕疵があった。そうなると、当のホルン奏者も緊張するだろうが、聴衆も不安になり、さらに困ったことに、この曲ではホルンが裸で出てくる箇所が何か所もあるので、その都度ハラハラする結果になった。

 それを除くと、全体はいかにも大交響曲的な演奏になった。分厚い弦、太い音で鳴る木管、明るく輝かしい音の金管、それらが混然一体となって、強弱のコントラストが極端に大きく、しかも耳を聾するばかりの最強音でも、少しも荒くなく、高性能のオーケストラの醍醐味を味わえる演奏。それは(陳腐な譬えかもしれないが)ヨーロッパの石造りの教会ではなく、(けっして悪い意味ではなく、ポジティブな意味でいうのだが)近代的なガラス張りの鉄筋のビルを思わせた。

 部分的には、第4楽章コーダで音が最弱音から少しずつ積み上げられ、やがて巨大な音響となって第1楽章第1主題が壮麗に鳴り響く、その「持っていき方のうまさ」(東条先生の言い方の借用)が強く印象に残った。

 アラン・ギルバート/都響のコンビは、在京のオーケストラの中でも、際立って個性的な存在になってきた。
(2019.7.25.サントリーホール)
コメント (2)
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